マンガで読める『夢酔独言』

マンガで読める『夢酔独言』

勝海舟の父親・勝小吉の自伝『夢酔独言』がマンガで読めるブログです。

『夢酔独言』における勝小吉の文章力

    『夢酔独言』が好き過ぎて、たまに何かのきっかけで「『夢酔独言』のここがすごい!」が噴出するときがあるのですが、今回は『夢酔独言』における勝小吉の文章力について、3つの要素で語りたいと思います。

 

※ここで紹介する『夢酔独言』の一節は、平凡社東洋文庫138勝部真長編『夢酔独言』よりの引用です。原文に句読点や濁点・半濁点、「」、送りがなの追加、かなを漢字に改めた箇所やその逆など、読みやすくするための手入れがほどこされています。

 

 

 

 

  

 

 

一、身内向けに書いたのに面白い

 

 

    まず前提として、『夢酔独言』は、勝海舟の父親である小吉が、「おれは駄目な手本だ、おれの真似をするな!」と、自分の子々孫々にむけて書いた自伝です。

 

    この動機なら、『夢酔独言』が面白い必要はまったくないんですよ。何なら、教訓を箇条書きにするだけでもいい。

    それなのに小吉は、「おれは駄目な手本だ、おれの真似をするな!」ということを言うために、己の面白エピソードをひたすら並べました。冒頭と最後に説教っぽいことを述べてはいますが、ほとんどは、息子の結婚式で息子そっちのけで親父の思い出ばかり映したビデオのごとき内容なのです。息子は困惑するしかないですが、ハタから観るとめちゃくちゃ面白いのです。

 

 

 

二、勉強ぎらいなのに、文体は革新的

 

 

    さらに前提として、小吉は勉強がだいきらいで、読み書きがほとんどできませんでした。ところが何を思ったか、42歳のとき、自分の半生をつづった自伝を書きました。当時(例外はあったでしょうが)誰も使っていなかった、しゃべり言葉による文体で

 

    当時、正式な文章で使われる文体は、文語体でした。はいこれ!

 

    予が十六、七歳の頃、四谷伊賀町の横町組屋敷に借宅せし平山行蔵と云ひし三十俵二人扶持取りし小普請の御家人あり。其頃諸人の評判に、近年これ無き武辺者にて、学問も勝れしと申しける。

『平子龍先生遺事』より※ちなみにこれも勝小吉著

 

    …読めねえ。目が滑る。

 

    江戸時代当時、文語体が使われていたのは、今より方言の違いが多種多様だったため、どの地方の人でも文章が読めるようにという配慮もあってのことでした。

 『夢酔独言』を現代語訳なしで読めるのも、小吉がしゃべっていた言葉が、たまたま現代の標準語に近い江戸弁だったからです。

 

 偶然が重なった結果ですが、これはえらくヤバいことです。

    当時の文体の主流は文語体、ということは、セリフ以外(セリフはしゃべり言葉で書かれる場合もありました)の地の文章は、当時の人が使っていた言葉ではなく、当時の人が口に出した言葉以外ーつまり頭の中で何を考えていたかは、知るすべがないのです。

    文章の言葉づかいをしゃべり言葉に一致させる「言文一致(げんぶんいっち)」の先駆けといえば、有名なのは二葉亭四迷の小説『浮雲』(1887年)ですが、 小吉はその44年も前(1843年)に、『夢酔独言』をしゃべり言葉で書いていたのです。

    『夢酔独言』は、個人の頭の中が本人の言葉で読んで理解できる、最古期の作品と言えるでしょう。 

 

 

 

三、文章の組み立てがめちゃくちゃ親切

 

 

  小吉の真の恐ろしさは、文章がめちゃくちゃ親切ということにあります。

 

    皆さんは文章を書くとき、ついつい自分だけが知っている前提を、すっ飛ばして書いてしまいませんか?

 

    小吉はエピソードごとに、いつ頃のことかに始まり、登場人物の紹介をして、場所、いきさつ、次の展開に至る会話、その時どう考えたか、何をしてどうなったか、それについて何と思ったかを、毎回書くのです。つまり誰が読んでも分かるように、書いてあるのです。

 怖い怖い怖い。小吉の文章力が怖い。

    「そんなの当たり前じゃないか」と思うかもしれませんが、自分一人で、身内に向けた文章でそれをするのは、意外と難しいものです。

    「お前らも知っての通り…」みたいなことを書いて、「いや、知らんがな」と思われがちなのですが小吉はそれをしていない。たまにというかけっこうすっ飛ばしてるけど、なるべく書こうとしているのです。※ただし、子々孫々も当然武士という設定なので、武士システム絡みの説明は無し。

 

    『夢酔独言』冒頭のお説教のくだりの後、本編冒頭を見てみましょう。

 

    おれほどの馬鹿な者は世の中にもあんまり有るまいとおもふ。故に孫やひこ(ひ孫)のために、はなしてきかせるが、能〱(よくよく)不法もの、馬鹿者のいましめにするがいゝぜ。おれは妾の子で、はゝおやがおやぢの気にちがつて、おふくろの内(家)で生れた。夫(それ)を本とふのおふくろが引とつて、…

 

    まずテーマを語り、自分の出生から説明しますはい親切。

    自分を語るにおいて、出生のいきさつを語るのは親切ポイントですよ。本人ですら、誰かに聞かないと分からないですからね。

 

    次に、引き取られた先の男谷家について説明します。

 

夫(それ)を本とふのおふくろが引とつて、うばでそだて々ゝてくれたが、がきのじぶんよりわるさ斗り(ばかり)して、おふくろもこまつたといふことだ、と。夫におやぢが日きん(日中)の勤め故に、内にはいなゐから、毎日〱わがまゝ斗りいふて、強情故みんながもてあつかつた、と用人の利平次と云(いう)ぢゝいがはなした。

    その時は深川のあぶら堀といふ所にいたが、庭に汐入(しおいり、海水を引いた池)が有て、夏はまい日〱池へばかりはゐつていた。八つ(午後2時)にはおやぢが御役所より帰るから、其前に池より上り、しらぬ顔で遊んでいたが、いつもおやぢが池のにごりているを、利平ぢゝにきかれるとあいさつに困つたそふだ。おふくろは中風(脳出血による麻痺)と云ふ病ひで、たち居が自由にならぬ。あとはみんなおんな斗り(ばかり)だから、ばかにして、いたづらのしたいだけして、日をおくつた。兄きは別宅していたから、なにもしらなんだ。

 

    びっくりするのは、一連の文章で、家族構成とその関係、日々の生活のようす、小吉がどんな子供だったかが、簡潔に説明されていること。

    ここに限らず、小吉は景気よく端的に、全ての出来事を簡潔に説明しています。例え人生の重要な節目でもー父親に下駄で頭を殴られようが、崖から落ちようが、檻にぶち込まれようが、一言で済ましています。

    「おれは親父に頭を庭下駄でぶち破られた。不断親父を慕っていたのに、酷いと思った。血がたいそう出て、痛かった。気が遠くなって…」などと長々と書きません。

    小吉は自分が必要と思った説明しかしないのです。

 

    例えば、小吉が二度目の家出から帰り、檻に入れられるシーン。

 

    よく日、兄が呼びによこしたからいつたら、いろ〱馳走をした。夕方、親父が隠宅から呼にきたからいつたら、親父がいふには、「おのしは度々不埒があるから先(まず)当分はひつ足(逼塞、出入り禁止の刑)して、始終身の思安(思案)をしろ。しよせん直(すぐ)には了簡はつく物ではないから、一両年考て見て、身のおさまりをするがいゝ。兎角、仁(人)は学問がなくつてはならぬから、よく本でも見るがいい」といふから内へ帰つたら、座敷へ三畳のおりを拵て(こしらえ)て置て、おれをぶちこんだ。

    それから色々工夫をして一月もたゝぬうち…

 

    前半の父親のセリフは長々と書いていますが、檻に入れられるのは一瞬です。

    「どうでもいいことも長々書いてるじゃないか!」と思われるかもしれませんが、小吉は父親の説教を印象強く覚えていて、重要と思ったから、その多くを書き残したのです。

    こんな具合に、『夢酔独言』は、小吉が重要と思ったことは事細かに説明され、そうでないことは一言で済まされる。それが文章に独特のリズムを生み、しかし必要なことはなるべく書かれているから、読めば誰にでも分かりやすく、かつ小吉の頭の中を直接覗いているような感覚になるのです。

    こんなに自伝にふさわしい文章の書き方があるでしょうか!

 

 

 

    それもこれも、小吉が自己顕示欲の塊みたいな男で、かつ竹を割ったような性格だから可能だったのだと思います。

    自分のことを言いたくて伝えたくて、そのために必要な言葉と文体を選択し、「分かるか?これがこうこうこうなって、こうなんだ!おれが大事と思ったところは、存分に語る!つまんない箇所は短めで!恨み言は言わねえぜ」と、結果的に、時代も立場も超えて、分かりやすく面白いと思わせる自伝が書けたのです。

 文体にしゃべり言葉を選んだのも、文語体より、自分の言いたいことがより言い表わせると判断したからかもしれません。『平子龍先生遺事』では、文語体で書いていたわけですから。

 

    そのせいか、『夢酔独言』にはアクションシーンも多く、その一部始終を具体的に書き残してあるので、漫画にするのに全然苦労しないんです。