勝海舟の父親・勝小吉の自伝『夢酔独言』の八話目、小吉が10歳の時の話です。
馬の稽古を始めた小吉。馬を借り、挙句に買って、毎日毎日乗ります。ある時、小吉は火事場に馬で乗り込みますが…。
十の年、夏、馬の稽古を始めたが、先生は深川菊川町両番を勤める一色幾次郎と師匠だが、馬場は伊予殿橋の、六千石取る神保磯三郎という人の屋敷で稽古をするのだ。
※原作より、はやおきによる現代仮名遣いで引用
●深川地図
深川の地図から「一色幾次郎」先生と「神保磯三郎」先生を探しましたが、神保先生はおそらく合ってると思いますが(神保先生んち、堀通ってんの?)、一色先生は、別人な気がします。
菊川町(写真下)と伊予殿橋(写真上)は見つかりました。
おれは馬が好きだから、毎日毎日門前乗りをしたが、ふた月めに遠乗りに行ったら、道で先生に合って困った故、横丁へ逃げ込んだ。そうすると先生が、次の稽古に行ったら、叱言を言いおった。
「まだ鞍も座らぬくせに。以来は固く遠乗りはよせ」
と言いおった故、大久保勘次郎という先生へ行って、競め馬の弟子入りをしたが、この師匠はいい先生で、毎日木馬に乗れとて、よくいろいろ教えてくれたよ。毎月五十鞍乗りをすべしとて、借馬引きにそう言って、藤助・伝蔵・市五郎というやつの馬を借り、毎日毎日馬にばかりかかっていたが、しまいには馬を買って、藤助に預けておいたが、火事には不断出た。
※77ページで、小吉がビミョウな顔をして見ているのがこちらの木馬です。『童謠妙々車』より。
漫画では、藤助という借馬引きと小吉とのやりとりがありますが、フィクションです。何か急に上方(かみがた)がどうのこうのと言っていますが、後の展開のための伏線です。深く考えないでください。
一度、馬喰町の火事の時、馬にて火事場へ乗り込みしが、今井帯刀という御使番にとがめられて、一散に逃げたが、本所の津軽の前まで追っかけおった。馬が足が達者故とうとう逃げおうした。あとで聞けば、火事場は、三町手前よりは、火元へ行くものではないということだよ。
こちらが、小吉が辿ったと思われるルートです。
※ただし、両国橋がかかる隅田川沿いはめちゃめちゃ人がいっぱい居た(「両国広小路」といって、見世物小屋とかがいっぱい並んでた)らしく、馬で通り抜けるのは困難とのことで、そこは迂回したってことにします。
一度、隅田川へ乗り行きしが、その時は伝蔵という借馬引きの馬を借り乗ったが、土手にて一散に追い散らしたが、どこのはずみか、力革が切れて、鐙(あぶみ)を片っぽ川へ落とした。そのまま片鐙で帰ったことがある。
原作では、小吉は伝蔵さんという人の馬を借りて乗っていますが、漫画では、この期に及んで新キャラを出すのもアレなので、藤助さんに統合しています。
また、漫画では土手を走っていますが、原作は「鐙を片っぽ川へ落とした」とあるので、本当に川べりを馬で乗っていたようです。
※あと、サブタイトルが英語ですが、特に意味はないです。和訳すると、「馬が好き」。
九話「頭の息子」へ続きます。
11歳になり、駿河台の剣術道場へ通うことになった小吉。そこには、絵に描いたような意地悪な先輩がいた…!
お楽しみに!