勝小吉自伝『夢酔独言』より、小吉14歳、一度目の家出エピソードその3です。
浜松から物乞い&野宿で伊勢路まで来た小吉ですが、伊勢路では炊いた飯はくれず、生米ばかりが溜まります。生米をかじって飢えをしのぐものの、体調を崩す小吉。河原の横穴で休んでいると、そこをねぐらにしていた二人組が帰ってきます。二人から「炊いた飯をくれる」と聞き、伊勢郊外の村へ行く小吉ですが…。
【前回までのあらすじ】
江戸の家から上方(かみがた)を目指して、東海道を旅していた小吉。浜松で持ち物をすべて盗まれるが、宿屋の亭主に柄杓をもらい、物乞い&野宿で伊勢神宮へ参詣するが…。
今回小吉が滞在するのは、手元の地図でこの辺りです。
…伊勢路では火で炊いた物は一向くれぬ故、生米をかじりて歩いたから、病後故に腹が治らぬから、またまた気分が悪くって、所は忘れたがある川原の土橋の下に大きな穴が横に空いているから、そこへ入って五、六日寝ていた。
※はやおきによる現代仮名遣いで引用
冒頭からいつの間にか病気になっている小吉ですが、実は『夢酔独言』では、このエピソードは後半にあるのです。
一度目の家出エピソードは、小吉のもう一つの著作『平子龍先生遺事』でも語られるのですが、マンガ『夢酔独言』では、この『平子龍先生遺事』での順番を採用しています。その理由は後ほど。
『夢酔独言』と『平子龍先生遺事』の家出エピソードの違いは、こちらの記事にまとめています。
ある晩、若い乞食が二人来て、おれに言うには、
「その穴は先月まで神田の者が寝床にしたところだが、どこかへ行きおった故に、おらが毎晩寝る所だ。三、四日稼ぎに出た故、手前に取られて困る」
と言う故、病気の由を言ったら、
「そんなら三人にて寝よう」
と抜かして、六、七日一緒に居たが、食い物に困り、
「どうしよう」
と二人へ言ったら、
「伊勢にては火の物は太神宮様が外へ出すを嫌いだから、くれぬ故、在所へ行ってみやれ」
と言うから、杖にすがってそこより十七、八町(約1.9㎞)の脇の村方へ入ったら、
「伊勢にては火の物は太神宮様が外へ出すを嫌い」というのは謎の設定ですが、伊勢神宮の中では「忌火」という清浄な火で神饌(神様へお供えする食事)をこしらえるそうで、それが施しにも影響していたのかもしれません。
そういうわけで、炊いた飯を求めて、村の方まで行った小吉ですが…。
…番太郎(番人)が六尺棒を持って出て、
「なぜ村方へ来た。そのために入口に不だが立ててある。このべらぼうめが」
と抜かして、棒でぶちおったが、病気故に気が遠くなって倒れた。
そうすると足にて村の外へ蹴出しおった故、ほうほう這うようにしてようよう橋の下へ帰って来たら、二人が、
「どうしてた」
と言うから、その次第(一部始終)を言ったら、
「手前は米はあるか」
と言うから、麦と米と三、四合もらい溜めたを出して見せたら、
「そんならおれが粥を煮てやろう」
と言って、徳利の欠けを出して、土手の脇へ穴を掘って、徳利へ麦と米を入れて見ずをも入れ、木の枝をもして、粥を拵いてくれたから、少し食った。あとは礼に二人へふるまった。
それよりおれも古徳利を見つけて、毎日毎日もらった米、麦、ひきわりをその徳利にて煮て食ったから、困らないようになったが、それまでは誠に食物には困った。
立ち入り禁止の立て札が読めず(…とは原作には書いていませんが、小吉は学問が大嫌いで、二度目の家出の後まで、ほとんど読み書きができませんでした)、番人に追い返された小吉。
橋の下へ帰って、横穴仲間に徳利で粥を炊く方法を教えてもらいます。
漫画でこのエピソードをこの位置(『平子龍先生遺事』では順番通り)に持ってきたのは、小吉に自炊手段を早めに獲得してもらうためです。一度伊勢に来ていながら、後半になるまで自炊の手段がないと、とても大変そうなので…。
そんなこんなで、自炊の手段を手に入れた小吉。
次回も、別方面で伊勢を堪能します。
十五話「御師の家へ行く(仮)」に続きます。
同じ物乞いの男から、伊勢の御師(おんし)について教わる小吉。御師の家に言って口上を述べると、もてなしてくれると聞きますが…。
お楽しみに!