『夢酔独言』 百十二話 左衛門太郎改め夢酔といった
大川丈助に300両超もの返済を求められた地主一家の岡野家。解決を頼まれた小吉は、「返金をして済ませるか」、「1文もやらずに片付けるか」、どちらでもやってみせると宣言します。
岡野家の決断は…。
…で、岡野家の皆さんは、返金をして済ますことにしました。妥当な判断です。
それからなんやかんや小吉が丈助を説得して騒動を小康状態にします。
岡野の皆さんが朝寝したり、一通り事を済ませた小吉が遊びに行ったりと、のんびりした時代の気風が垣間見えます。
小吉の持病(脚気)がちらりと顔を覗かせたり…。
それから丈助を呼んで対談した。双方証文(誓約書)を取り交わして、返済の金は十二月十九日に渡す約束をした。当分の手当として十五両を丈助に内渡しにし、返済が済むまでは、これまで通り扶持(給与米)を出すようしたから、揉めることもなく一日で片がついた。
翌日は一日遊び歩いた。孫一郎方へ顔を出したら、家内(家族)一同が喜んで、いろいろと言った。
そらから金策をしたが、孫一郎の方は久しく丈助の騒動に懸りきりで出費がかさんでいたから、今日の暮らしにも困っていた。所帯に三、四十人いて、飯米が一枡もないくらいだ。
そこでおれが武州の知行所の者を呼び出して、十二月までの岡野の生活費のまかないを言いつけた。説得するに時間を食ったが、ようよう納得させた。
丈助へ返金の金だが、しょせん江戸では用立てられぬ。そこで、摂州の岡野の知行所へ取り立てに行くことにした。道中入用の金四十両は、武州の次左衛門という庄屋を呼んで、出させた。これはおれの借りにして、十二月に返す約束をした。
※原作よりはやおき訳で引用
「知行所(ちぎょうしょ)」という単語が登場しますが、これは、幕府から旗本に与えられた土地で、知行村で取れた米(=年貢)を知行米と言います。
岡野家は少なくとも武州(武蔵)と摂州(摂津)に知行所を持っており、武州からは当分の生活費と旅費を、摂州からは丈助への返済金を出させる計画です。
この年の10月、小吉の出した届けが認められ、小吉は「夢酔(むすい)」と改名します。このマンガの原作『夢酔独言』のタイトルの謎が、ここに来て回収されました。ちなみに「小吉」は通称で、「左衛門太郎」が正式名称です。…ここではいつも「小吉」と呼んでいたのですが、次回から「夢酔」呼びになるのか否か…!?
あ、あと、小吉と別れの挨拶をしているのは、息子の剣術の師匠の島田虎之助さんです。
百十三話「江戸で聞いた話と大きに違うぜ」に続きます。大坂の知行村についた小吉一行ですが、出てくるはずの金がありません。