『夢酔独言』 百七話 島田虎之助の吉原めぐり
息子・麟太郎(後の勝海舟)の剣術の師匠・島田虎之助を驚かせてやろうと、キメキメの一張羅で会いに行った小吉。堅物の島田さんを、浅草→吉原へ連れ出します。
ムリヤリ寿司を食わされたうえ、修行中だからと断ったのに、酒・タバコを強要される島田さん。挙句、女郎屋へ連れていかれて…。
島田虎之助さんは、浅草新堀に道場を構えていましたが、九州から2、3年前に江戸へ来たばかり。このお話で、小吉は新堀の島田道場から、奥山→吉原と、島田さんに江戸の歓楽街を案内します。
・先奥山
浅草寺の裏手にあり、曲芸、細工物、外国の動物など、見世物が沢山あった。
・吉原
江戸一の遊郭。ちょうど桜の季節で、メイン通りには毎年わざわざ、桜の木が移植されていた。
マンガで小吉はかなり好き放題振る舞っていますが、だいたい原作どおりです。
今回は長く引用するので、試みにはやおきの現代語訳にてお楽しみください。
浅草に着いて、おれが先奥山の女どもをなぶって歩いたら、胆をつぶした顔をして虎之助が後からついて来る。おれが「寿司飯を食うか」と聞いたら、虎は
「好きでございます」と答えた。
「そんなら面白い所で寿司をあげる」
と言って、吉原へ行き、大門に入りかかると、
「いけません、いけません」
と虎之助が言ったが、無理に仲の町のお亀寿司へ入って二階へ上がった。
間もなく言い付けた寿司が出た。それを食いながら、虎に
「煙草はどうだえ」
と聞いたら、
「呑みますが、修行中故にやめております」と言う。
「それは度量の小さなことだぜ。煙草を吸ったからとて修行のできねえことはあるまい。世間でお前は豪傑と言うから近づきに来たのだ。そんな狭量では江戸の修行はできねえぜ」
「左様なら今日は吸いましょう」
虎が言ったから、一階の者へ言いつけて、煙草入れとキセルを買わせた。
「酒も飲みなよ」とおれがすすめたら、さっきと同じように断ったから、これも飲ませた。
そのうちに日も暮れる。あちこちに提灯はともるし、ちょうど桜の季節だから、格別の風景だ。揚屋(遊女を上げて遊ぶ店)の花魁が道中を始めたから、二階から虎に見せた。虎が
「まるで別世界だ」
と、夢中で見ているから、ここからはおれの威勢を見せてやろうと思って、吉原の隅から隅まで見せたが、たいそう恐れ入ったようだった。
それから佐野槌屋(さのつちや)へ入った。桜の季節だから客が大勢で座敷が一杯だったが、おれの顔で一間空けさせた。女郎の一番器量良しなのを上げて遊んで、翌日帰った。虎とは深川の森下で別れた。
後で、虎之助が「吉原であんな振る舞いはなかなかできないだろうに、ご隠居はどうして顔が利くのだろう」とみんなに話したと、松平の家来の松浦勘次がおれに話した。虎が
「ご隠居は吉原へ行ってももう大丈夫だ」
と言ったから、男谷(小吉の実家)でも安心してたとよ。
※小吉のセリフが赤字、島田さんのセリフが緑字です。
どうしてその流れで安心できるのか分かりませんが…。
一方、江戸城から、松平七郎麿が水戸へ越して来ます。彼こそ、後の徳川慶喜。小吉の息子・麟太郎がかかわることになる、キーパーソンです。
七郎麿は、前年の天保八年(西暦1837)秋に江戸城にて生まれましたが、翌年4月、水戸に移されます。というのも、退廃華美な江戸にいては、ロクな大人にならないという松平家の教育方針からでした。今回の小吉を見ると、なるほど確かにですね。
今回で、マンガ『夢酔独言』「隠居編」はおしまいです。次回から、『夢酔独言』のクライマックス「上坂編」がスタートです。
百八話「後の孫一郎もまたふしだら(仮)」に続きます。小吉がかつて世話をして、「息子のことは頼んだ」と言い残して亡くなった道楽者の地主・岡野孫一郎さん。孫一郎の名を継いだ息子もまた、道楽者でした。