『夢酔独言』 百二十九話 お前様を離しはしませぬ
一話飛ばして百二十七話で倒れた夢酔(=小吉)。一命はとり留めましたが、そんな小吉に、天保の改革が襲いかかります。
翌年二月から気分が悪くなって、大病になった。いろいろ療治したらば、八月末に少し良くなったから、病をおして騒いで歩いた。
十二月の初め、とうとう大病になって、体がむくみて寝返りも出来ぬようになった。
同じ頃、あんまりたいそうに本所・浅草界隈で威勢をふるったものだから、頭より尻が出て(悪事が明るみに出て)、同じ月の二十二日に、虎の門の保科栄次郎という息子と相支配(同じ頭の支配下)の男の家に押し込められた。大病故、駕籠で虎の門まで行った。
※原作よりはやおき訳で引用
時は天保十二年(西暦1841)、5月に老中・水野忠邦が「天保の改革」を行いました。
【天保の改革】
天保の飢饉や大塩平八郎の乱を受けて、天保12~14年、老中水野忠邦が行った幕府の政治改革。贅沢の禁止、風俗粛清、出版物取締を励行し、物価引き下げ令、出稼ぎなどで江戸へ来た農村民の帰農(=人返しの法)を公布した。株仲間の解散、上知令(あげちれい、江戸・大坂近傍の知行地を幕府に返上させる政策。大名・旗本の反発にあい実施できず)で幕府への権力を集中させようとしたが、どの政策も効果は薄く、2年後の水野忠邦の失脚で改革は失敗に終わる。
小吉はこれに引っ掛かったわけです。
この「天保の改革」は『夢酔独言』にめちゃくちゃ関係があって、小吉だけでなく、
・富くじの祈祷をしていた殿村南平(小吉の祈祷の師匠)
・小説を書いていた柳亭種彦(小吉の友達)
・小吉が世話をした湯屋の株仲間
・地主・岡野孫一郎の知行所(領地、ただし未実施)
ざっくり以上が、規制の対象になってしまいました。
殿村南平(貴仙院)については、息子・海舟が『氷川清話』で語っています。
白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき
これはひとつ前の寛政の改革を皮肉った狂歌ですが(改革をした白河の藩主・松平定信の改革は苦しい、田沼意次の時代が恋しいの意)、江戸庶民文化のよどみの中を元気に泳ぎ回っていた小吉の状況は、まさにこの歌の通りだったかもしれません。
かくして小吉一家は虎の門の家に押し込めとなるのですが、この時のことも、勝海舟が『氷川清話』で語っています。
かつて親父が、水野(忠邦)のために罰せられて、同役の者(保科栄次郎)へお預けになった時には、おれの家をわずか四両二分に売り払ったよ。それでも道具屋は、「殿様だからこれだけ(の値段)に 買うのだなどと、恩がましく言ったが、ずいぶんひどいではないか。その同役の家というのは、たった二間だったが、その狭い所で同居したこともあったよ。
※『氷川清話』より現代仮名遣いで引用
かつて200両盗んで吉原につぎ込んだこともあった小吉ですが、家をわずか2両2分(約22万円)で処分するはめになったのです。
なんだか右肩下がりな小吉の人生ですが、いいことも起きます。息子・麟太郎が家に帰ってきました!
百三十話「地球中の小国」に続きます。麟太郎が、世界地図に遭遇します。一方、小吉は…。
『夢酔独言』晩年編最終話まであと3話!