『夢酔独言』 百二十二話 髷を切って江戸へ帰る
550両と引き換えに、供の一人、猪山勇八郎を村方へ差し出すことになった夢酔(=小吉)一行…しかしそんな約束、小吉が守る訳がない!
一方、江戸では姑である婆様が、危篤状態で…。
「二、三日京都見物をして帰ったらを引き渡す」というワリと雑な嘘をついて、猪山さん共々、小吉は江戸へ帰りました。
江戸へ帰る前に髪を切ったのは、小吉は隠居した身であり、髷を結っていることが、何かしらの違反にあたるからと推測されます。
小吉は今回で江戸を出るのは3回目ですが、いずれも無断で、やはりご法度になります。
今回、小吉の姑で妻・信の祖母が亡くなりますが、小吉が7歳の時に知り合ってから、ずっと馬が合わないままでした。マンガでは、緩やかに和解というか、受容させています。小吉が37歳、信が35歳なので、どんなに若くても70歳ぐらいだったんではないでしょうか。大往生でした。
翌日は七ツ(午前4時)に発って京へ行ったが、村中が何とも言わなんだ。京都へ行き、三条の橋脇に三日逗留して、本当に休息をした。
それから東海道を下った。
大磯へ泊まった晩に、髪を切って撫ぜつけになった。十二月九日、江戸へ帰った。川崎で家へ案内を出したから、大勢が迎えに来た。
それから出来た金子を持って、岡野孫一郎の家へ行った。皆が出て、おれを神様のように言った。
中一日置いて、大川丈助を呼び出して、立替え金三百三十九両あまり残らず渡して、親類の書付けまで取って、孫一郎へ渡した。
翌日、家の祖母が死んだから、いろいろ仏事にかかった。
武州・相州(武蔵の国・相模の国)の知行所の者が、「百両は上坂しても出来まい」と言ったが、一同とも胆を消しおった。孫一郎が親類にも、「五十両出来たら勤を引く(=引退する)と言ったやつらもあったが、へこましてやった。
「孫一郎を助けてやれ」とおれに頼んだ島田虎之助も、大きに喜んだ。
大川丈助は、
「生涯あなた様の方へ足を向けては寝ません」
と言ったが、今(42歳、『夢酔独言』執筆時)に折々、おれの様子を聞きに来る。
それからその年の暮れの始末を残らずした。地主家一同は、
「今の孫一郎様の代になって、初めてこんな安泰に年越しが出来た」
と喜んで、おれに馳走をしてくれた。
しかしながら、鐘を拵(こしらえ)るのに、これほど骨を折ったのは、これまでで一番だ。丈助一件に関わった者は、皆々おれを恐れたよ。
その代わりには、道中は家来四人とも駕籠に乗せたから、一同が喜んだ。往復で入用(=経費)が六十七、八両かかった。
翌年春は忌明けになったから、あちこちで遊んで、面白く暮らした。
丈助一件の礼に孫一郎から、「丈助返金の残りは使いなされ」と言われたが、孫一郎の暮れの手当(=生活費)が無くなるから一文ももらわなかった。孫一郎が家内(家族)が相談して、木綿の反物を一反くれた。
世間ではおれに百両も取れと言う者もあったが、おれが考えで取らぬ。
※原作よりはやおき訳で引用
かくして、岡野孫一郎の大川丈助立替え金騒動は、一件落着となりました。
小吉含め5人で江戸⇔大阪の往復駕籠代が67、8両(約650万円)ということは、一人片道いくらかかったんでしょうか。
68両÷(5人×2回分)で6,8両、約65万円です。
…相場が分からん…。
今回のことで小吉は岡野家から現金はもらいませんでしたが、後々、息子・麟太郎のために、岡野家に着せた恩を回収することになります。
「上坂編」は、百二十二話でおしまいです。次回から、「晩年編」が始まります。
百二十三話「最後の喧嘩」に続きます。舎弟(?)の島田虎之助の兄・金十郎が、九州から江戸へやって来ます。