『夢酔独言』 百二十四話 他行留
前回、所属していた小普請組に無届けで大阪へ行ったことがバレた夢酔(=小吉)。「他行留(たぎょうどめ、外出禁止)」を言い渡されたその後の生活は…。
一方、息子・麟太郎は白井亨(しらいとおる)に教えを受けます。
今回のお話は、前半が勝小吉の自伝『夢酔独言』、後半が勝海舟の言葉集『氷川清話』で構成されています。小吉39歳、麟太郎(海舟)18歳の頃です。この時麟太郎は島田虎之助の塾に寄宿していて、家族とは別居中でした。
それからは遊ぶが商売で、どことはなしに出て歩いた。それには小遣いが困るから、道具市にも出るし、いろいろ魂胆(=工夫、やりくり)していると、頭より摂州へ行った尻が出て、他行留を言い渡された。
二月より九月初めまで家にばかり居たが、せつないものだ。
地主の岡野孫一郎へ話して、引籠り中おれの手当をもらった。ひと月に金一両二分と四人扶持ずつだ。
毎日毎日、庭をいじって慰みにしていた。
※『夢酔独言』よりはやおき訳で引用
「道具市」とは、古物商や中古屋さんのようなもので、小吉は刀剣関係の道具の売り買いをして、生計を立てていました。
手当にもらった「金一両二分と四人扶持」ですが、「一両二分」が現金支給、「四人扶持」が4人分のお米、となります。1両は約96000円、1分が4分の一両だから、現金は合計12万円です。当時の勝家は小吉に妻の信、娘が2人居たのは確かですが、他に家来を雇っていたかは不明です。
冒頭にあるように、小吉は外で遊ぶのが大好きですから、かなりのストレスだったようです。
後半は『氷川清話』より、白井亨とのエピソード。
無我無心は禅機の極意だ。人一たびこの境に達す、真個天下敵なしだ。かつて白井亨という剣道の達人があっておれもたびたび就いて教えを受け大いに裨益(ひえき、役に立つした事があった。この人の剣を使うやほとんど一種の神通力を具えて(そなえて)居た。その白刃を提げて立つや凛として犯すべからざる神気刀尖(とうせん)より迸り(ほとばしり)て向などに立って居られなかった。おれも是非この境涯に達せんと必死に練磨したれど、とうとう達しなかった。
おれもひどく感心してると話すと、白井は笑って、足下(あなた)が多少剣道を解し居ればこそ自分の切先もそう恐しく感ずれ、無我無心の人には何とも感ぜぬものよ、ここに剣法の奥意は存するよと諭した。
※『氷川清話』より現代仮名遣いで引用
白井亨は江戸後期の剣客で、1783年生まれ、1843年没です。麟太郎が白井亨に会ったのはいつ頃なのか不明ですが、マンガでは1840年、白井亨が58歳の時の話、ということにしています。
相変わらず刀の握り方がテキトウですが、気にしないでください。
後半、麟太郎と話しているのは彼の師匠、島田虎之助さんです。島田さんは小吉の舎弟兼友達でもあります。
麟太郎が明智光秀について喋っていますが、明智光秀が本能寺の変の後農民に突き殺された話は、私は学生の頃教科書では習わなかったんですが、江戸時代から通説としてあったんですかね?現代人が知っているので良しとします。
そして現代(未来)人が書いたお話なので、先見の明があり過ぎる発言。
百二十五話「夢酔ストレスフル」に続きます。引きこもりっぱなしでストレスMAXの小吉、ワガママが爆発します。