マンガで読める『夢酔独言』

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勝海舟の父親・勝小吉の自伝『夢酔独言』がマンガで読めるブログです。

『夢酔独言』 百二十八話 麟太郎、鉄になる

『夢酔独言』 百二十八話 麟太郎、鉄になる

 

 前回のオチで主人公が倒れましたが、そんなことはお構いなしに、息子・麟太郎(勝海舟)の修行エピソードです。鉄になります(本人談)。

 

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 今回のお話は、勝海舟の言葉集『氷川清話』によります。

 

 寒中になると、島田の指示に従うて、毎日稽古が済むと、夕方から稽古衣一枚で、王子権現に行って夜稽古をした。いつもまず拝殿の礎石に腰をかけて、瞑目沈思、心胆を練磨し、しかる後、立って木剣を振りまわし、さらにまた元の礎石に腰を掛けて心胆を練磨し、また立って木剣を振りまわし、こういうふうに夜明けまで五、六回もやって、それから帰ってすぐに朝稽古をやり、夕方になると、また王子権現へ出掛けて、一日も怠らなかった。

 初めは夜更けにただ一人、樹木が森々(しんしん)と茂っている社内にあるのだから、なんとなく心が臆して、覚えず身の毛が立って、今にも大木が頭の上に倒れかかるように思われたが、修業の積むに従うて、次第に慣れてきて、後にはかえって寂しい中に趣きがあるように思われた。

 時々は同門生が二、三人が来ることもあったが、寒さと眠さに辟易(へきえき、手の打ちようがなく困ること)して、いつも半途から、近傍の百姓家を叩き起こして、寝るのが常だった。しかしおれは、馬鹿正直にもそんなことは一度もしなかったよ。修業の功は瓦解(がかい、ここでは特に、江戸幕府体制の崩壊)の前後に顕(あれわ)れて、あんな艱難辛苦(かんなんしんく、困難に出合って、つらく苦しい思いをすること)に耐え得て、少しもひるまなかった。

 ほんにこの時分は、寒中足袋もはかず、袷(あわせ、裏地付きの着物)一枚で平気だったよ。暑さ寒さなどということは、どんなことやらほとんど知らなかった。ほんに身体は、鉄同様だった。今にこの年になって、身体も達者で、足元も確かに、根気も丈夫なのは、まったくこの時の修業の余慶(よけい、お陰)だよ。

※『氷川清話』より現代仮名遣いで引用

 

 だいたい原作通りですね。

 この修業のエピソードは、あまりにハードなので、事実無根説もあるようですが、ここではそのままマンガにしました。確かに、いつ寝てたんだよとは思います。

 ただ、『海舟年譜』をまとめた富田鉄之助、『海舟伝稿』を編さんした瀧村鶴雄によると、島田虎之助の塾でこういった寒中の夜稽古という修業メニューがあったことは事実のようです。同門生が次々脱落していく中、麟太郎は修業を完了し、師匠の島田虎之助から認められるにいたりました。

 

 で、最後のページで島田先生が急に麟太郎に蘭学(らんがく、オランダ語による西洋の学術の研究。医学、数学、兵学天文学、化学など)」を勧めていますが、これも資料に基づいた展開です。勝海舟といえば、咸臨丸(かんりんまる)でアメリカに行ったエピソードが有名ですが、最初のきっかけになったのは、意外にも剣術の師匠・島田虎之助だったのです。

 

 

 

 参考文献:『氷川清話』 勝海舟 江藤淳、松浦玲編 講談社学術文庫

      『勝海舟』 松浦玲 筑摩書房

 

 

 

 百二十九話「お前様を離しはしませぬ」に続きます。主人公倒れる、の続きです。まだ主人公が『夢酔独言』を書いてないぞ!

 

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