『夢酔独言』 百三十二話 決しておれの真似をばしないがいい
『夢酔独言』本編最終回です。
夢酔(=勝小吉)の半生の反省と、子孫へのアドバイスとは。
百三十二話は、前半は『夢酔独言』の最後、半生を振り返ってのまとめです。
ここのところ読みやすいように原作を意訳して引用していましたが、最後は言い回しも原文ママに、現代仮名遣いでお楽しみください(※太字がマンガ引用部分)。
その他にもいろいろさまざまのことがあったが、久しくなるから思い出されぬ。
おれは一生のうちに無法の馬鹿なことをして年月を送ったけれども、いまだ天道の罪も当たらぬと見えて、何事なく四十二年こうしているが、身内に傷ひとつも受けたことがない。
その他の者はあるいはぶち殺されまたは行方が知らず、いろいろの身になった者が数知れぬが、おれは幸運だと見えて、わがままのしたいほどして、小高の者はおれのように金を遣った者もなし。いつも力んで配下を多く遣った。
衣類はたいがいの人の着ぬ唐物その他結構の物を着て、甘いものは食い次第にして、一生女郎は好きに買いて、十分のことをしてきたが、この頃になって、ようよう人間らしくなって、昔のことを思うと身の毛が立つようだ。
男たるものは決しておれの真似をばしないがいい。
孫やひこ(ひ孫)が出来たらば、よくよくこの書物を見せて、身のいましめにするがいい。今は書くにも気が恥ずかしい。
これというにも無学にして、手跡(文字)もようよう二十余になって手前の小用が出来るようになって、いい友達もなく、悪友ばかりと交わった故、よいことは少しも気が付かないから、このようの法外のことを、英雄豪傑だと思った故、みな心得違いをして、親類・父母・妻子までもいくらの苦労をかけたか知れぬ。
肝心の旦那(将軍)へは不忠至極にて、頭取様へも不断に敵対して、とうとう今のごとく身になった。
幸いに息子がよくって孝道(孝行)してくれ、また娘がよく仕えて女房がおれにそむかない故に、満足で、この歳まで無難に過ぎたのだ。
四十二になって初めて人倫の道且(か)つは君父へ仕えること、諸親へむつみまたは妻子下人の仁愛の道を少し知ったら、これまでの所業が恐ろしくなった。
よくよく読んで味おうべし。子々孫々まであなかしこ。
夢酔道人
後半は、『夢酔独言』冒頭文から、かいつまんで引用しました。結構同じことを何回も繰り返して言っています。
冒頭文はまた、独立した記事で現代仮名遣いで載せると良いかと思いますが、ひとまず、子孫へのいましめ部分を意訳で抜き出します。
・孫やその子は、おれの息子(勝海舟)の言う通りにしろ。
・8、9歳になったら、他のことは捨てて、学問・武術に時間を費やし、いろいろな本を読むべし。読書は下手な学問よりはるかにましだ。
・女子は10歳になったら髪月代の仕方を習って、自分の髪も自分で結うこと。裁縫を覚えて、13歳くらいから、自分のことは人の厄介にならないよう、手習いもして、人並みに文字が書けるようにすべし。よそに嫁いでも、問題なく家を治められる。
・男子は身体を強くして、食事は質素に、武芸に骨を折り、一芸は人より秀でること。旦那(将軍)のために忠義を尽くし、親孝行し、妻子には慈愛、下人には仁慈をかけるように。固く勤めて、友達には信義をもって接すること。
・倹約して奢らず。ただし、ケチはいけない。
・師匠を取るときは、技術は少しまずくても、考えのしっかりした、純朴な人を選んで入門すべし。
・世間の人情を知れ。ただし心の内にしまって、むやみに喋り散らすものではない。
・友達を陰で取りなすこと。付き合いは身分に応じて。無益の友と交わるべからず。
・目上の人は尊敬すべし。
・祖先を祀って、けがすべからず。
・一時間早く出勤しろ。
・文武をもってなりわいと思うべし。
・若いときは、暇がないほどいろいろなことを学べ。暇な時は、よくない考えが入って身を崩すもとだ。娯楽には近寄るな。年寄りは用心しつつ、少しならやってもいい。やり過ぎると、おれみたいになる。
・庭木は植えず、畑で作物をこしらえろ。百姓の気持ちが分かる。
・人に技術を教えるときは、弟子を愛して誠を尽くせ。性の合わない相手には、なおいっそう誠を尽くすように。えこひいきをしてはいけない。
・何でも、心を込めてやれば、天理にかなって、子孫に幸いがあるだろう。聖人、賢人の道を志して、謹んで守れば、一生安泰だ。
・第一に利欲は断つべし。夢にも見るな。おれは多欲だから今みたいになった。これが手本だ。
・収入相応に物を蓄えて、もし友達か親類に不慮のことがあったら、惜しまずほどこしてやれ。
・自分よりいい身分の人と縁組するべからず。なるべく貧しい身分の中からにすること。向こうが上だとおごりがつく。
・家来は貧乏人の子を使い、定年になったら身分相応に片を付けてやるべし。
・とにかく女には気を付けろ。油断すると家が傾くぞ。
・いつも柔和にして、家事(いえのことあれこれ)を治め、主人の威光を落とすことのないように。
・おれはこれからはこのことを守るつもりだ(今はまだやってない)。
・決して道理から外れるなかれ。おれの真似をするな。
・不当な扱いをされても、みんなこっちが悪いと思うことだ。恨みを恩で返せば、間違いない。
・東照宮(徳川家康)の時代は戦などの困難もあったが、今は泰平の世で、仕事は畳の上だから、少しも心配がない。万一、滑って転ぶぐらいのことだ。
・夜は安心して寝ろ。
・普段着は破れなければよし、勤めの服は、垢が付かなければよし。
・家は雨が漏らなければよし、畳は擦り切れなければよし。
・書物を読むにも、武芸を習うにも、心得が違っていると台無しになる。学ばない方がましなくらいだ。
・真人間になるよう心掛けろ。
・子々孫々とも、おれの言うことをかたく用いるべし。おれは今でも難しい字はよめないから、ここに書いたのにも書き間違いが多くあるから、よく考えて読め。
マンガにある、このくだりもあります。
…この頃はおれの体も丈夫になって、家内(家族)のうちに何のいさかいもなく、親子兄弟とも一言のいさかいもなく、毎日毎日笑って暮らすは、誠に奇妙のものと思うから、子々孫々とも、こうしたらよかろうと気が付いた故に、暇に飽かして、折々書きつけた、善悪の報いをよくよく味おうべし。
小吉は42歳の時、鶯谷に小さな家を囲って、『夢酔独言』を書きました。その直前、天保の改革で罰せられ、病気にもなりましたが、筆をとった頃には、「毎日毎日笑って暮ら」していたのです。
最後に、小吉が詠んだ歌をふたつ。
気はながく こころはひろく いろうすく つとめはかたく 身をばもつべし
学べただ 夕(ゆふべ)にならふ道のへ(辺)の 露の命の あす消ゆるとも
私は両方とも、この歌は好きです。ただ、どの口が言ってんだとは思いますが…。
『夢酔独言』は、完全なノンフィクションかどうかと言えば、けっこう怪しい自伝です。記憶というものは簡単に塗り替えられてしまうものですし、勝小吉はあの通り、口八丁手八丁、平気で嘘を並べる男です。しかし、この一介の人物が170年前に書いた物語は、間違いなく面白いものに仕上がっています。
最後に、勝小吉という、ワガママで、正直で、悪辣で、自信満々で、生命力にあふれてセクシーな侍を好き勝手に描ける幸福に感謝。
…さて、百三十三話からは、マンガ『夢酔独言』「麟太郎編」が始まります!小吉が『夢酔独言』を書いてから、死去するまでのお話です。
『夢酔独言』が書き終わられちゃっているもんで、史実を交えつつのオリジナル展開で、全部で10話程度を予定しています。
というか、本当は『小吉の女房』最終回までにすべての話を書きたかったんですが、時間的に、クオリティー的に全然無理でした。日本語が雑になるほどに。
百三十三話「島田虎之助、江戸へ来る」に続きます。小吉の舎弟友達で麟太郎の剣術の師匠でもある島田さんですが、勝親子より前に、小吉の甥・男谷精一郎と出会っていました。その時のエピソードです。