勝海舟の父・勝小吉は、14歳の時、養家から家出し、勝家を潰しかけたことがありますが、その一部始終は、小吉の自伝『夢酔独言』に記されています。口語体で書かれ、活き活きとした当時の様子が伝わってきます。
小吉の著作にはもう一つ、『平子龍先生遺事』があります。こちらは文語体で、小吉が若い頃交流した平山行蔵先生について書いています。
小吉が家出するくだりは、この二つの著作に登場するのですが、辿ったルートや、起こった出来事の内容が微妙に違うのです。
マンガ『夢酔独言』では、『夢酔独言』『平子龍先生遺事』の内容を折衷した構成にしてあるのですが、この記事では、江戸時代当時の地図と共に、二つの道中の比較をします。
・『夢酔独言』『平子龍先生遺事』どちらが先に書かれたか
これについては、両著作の最後に、夢酔(小吉)が明記しています。
『夢酔独言』が天保十四年(西暦1843)初冬、『平子龍先生遺事』が同じく天保十四年初夏。『平子龍先生遺事』が先に書かれました。
・どのように語られているか
『夢酔独言』では、小吉が生まれてから現在(天保十四年)まで時系列に出来事が語られ、小吉十四歳のところで、家出について書いています。文庫本約16ページ分。口語体。
『平子龍先生遺事』では、小吉が17歳頃に、平山行蔵先生に語る体裁です。
「あなたは何か苦労したことはあるか」と聞かれ、14歳の時に家出をしたことを語ります。文庫本約5ページ半。文語体。
『平子龍先生遺事』に『夢酔独言』と共通するエピソードが出てくるのは、意外にもここだけです。
・出来事の順番
『夢酔独言』に登場するエピソードを基準に、番号を振ってみます。
『夢酔独言』ルート
①五月二十八日、江戸を出る。品川、藤沢を経て旅の二人連れと合流。小田原、箱根関所を越え、浜松の宿で持ち物を盗まれ、無一物に。
宿屋の亭主に柄杓をもらい、物乞い&野宿生活スタート
米麦5升、銭12,30文もらう。米麦3升と銭50文を亭主にやる
「蚊にせめられてろくに寝ることもできず、つまらぬざまだつけ」
②伊勢神宮へ参る
③伊勢で物乞いの男と知り合う。龍太夫という御師(おんし)について教えられ、行って接待を受けるが逃げ出す
口上は「江戸品川の青物屋の内よりぬけ参りに来たが、かくのしだい(こういうわけ)故、留めてくれろ」
金2両を要求し、銭を一貫文もらう
「うまゐものを食いどふしだから、元のもくあみになつた」
※龍太夫を教えた男とは、相生の坂で知り合う。男は神田黒門町の村田という紙屋の息子
④駿河の府中まで帰る。野宿生活
⑤府中で侍の馬の稽古に出くわす。侍の乗馬が下手だからといって笑い、馬喰に殴られる。中年の侍に「一鞍乗れ」と言われ、馬に乗る。
侍(与力)の家で6、7日世話になるが、逃げ出す
⑥府中から上方へ向かって進む
⑦鞠子(丸子)で博奕打ちから銭とおむすびをもらう
⑧四日市で龍太夫を教えた男と再会。二人で伊勢へ行くが、山田で別れる
⑨白子の松原で熱を出す。1ヶ月弱滞在。寺の坊主に粥をもらい、回復
⑩伊勢路にて、炊いた飯がもらえず困る。土橋の下の横穴で休み、二人の物乞いと寝床を分ける。村方へ飯をもらいに行くが、番人に殴られ退散。
六尺棒で殴られ、「病気故に気が遠くなって倒れた」
飯の炊き方を会得
⑪盆、府中まで戻る。米屋で施行の小皿を2つ取って殴られる
⑫府中二丁町にて、女郎屋の客から飯と菜、銭300文、浴衣と縮緬の褌をもらう。伝馬町の木賃宿に泊まる
浴衣を質に入れて出発
⑬石部にて秋月藩の長持の親方と出会う
浴衣と手拭いをもらう
府中まで連れてきてもらうが、その夜、親方が博奕のケンカで国へ帰ることに
小吉、浴衣を返し、古襦袢と銭50文をもらう
⑭崖のそばで寝て、転落。金玉を打つ
⑮箱根二子山にて野宿、三度飛脚に銭100文もらう
⑯小田原三枚橋にて、漁師の喜平次と出会う。喜平次宅に奉公。14、5日滞在
⑰閏8月2日、300文を盗んで、喜平次宅を出る
一日歩いて江戸の鈴が森へ、犬に取り巻かれる。高輪の漁師町の船で眠る
愛宕山→両国橋→回向院に潜み、回向院の物乞いの頭(かしら)の所で飯だけ食って逃げる
材木問屋の河岸で寝てから帰宅
『平子龍先生遺事』ルート
①14歳の頃「余儀なく」家出。箱根前で旅の二人連れと合流。浜松で二人が小吉の持ち物を盗み行方をくらます
宿屋の亭主に柄杓をもらい、物乞いをする
米麦4升、銭130文もらい、米麦2升と銭50文を亭主にやる
「何国を当てと申す所もなく、其日も上方(かみがた)を志し行きける」
②伊勢神宮へ参る
⑩伊勢路にて、炊いた飯がもらえず困る。村方へ飯をもらいに行くが、番人に殴られ退散
十手で殴られ、「両三日食事致さゞる故か、殊の他痛み申し」
病気のくだりの前なので、杖は持っていない。土橋の下で休むのは殴られた後で、『夢酔独言』と順番が逆
二人の物乞いは登場しない。徳利で米を炊かない
宮川で食事にありつく
③伊勢で物乞いの男と知り合う。龍太夫という御師(おんし)について教えられ、行って接待を受けるが逃げ出す
口上は「品川にて柏原屋といふ者方より当所参詣に参り候途中にて、ごまのはいに逢ひて難儀の由」
「薄気味も悪しく候へども、せめて畳の上にても寝申したき故」「誠に夢の如くに存じ」
おむすび三つと梅干しをもらう
男との再会はない
⑨白子の松原で熱を出す。1ヶ月弱滞在。寺の坊主に粥をもらい、回復
「とてもの序(ついで)に中国四国九州までも廻り見申すべし」
⑬石部にて秋月藩の長持の親方と出会う
浴衣をもらう
府中まで連れてきてもらうが、その夜、親方が博奕のケンカで国へ帰ることに
小吉、浴衣を返し、古襦袢と銭500文(『夢酔独言』の10倍)をもらう
その後、駿河市中にて、15日滞在
崖から落ちて金玉を打つくだりは省略
⑫府中二丁町にて、女郎屋の客から銭300文、浴衣と縮緬の褌をもらう。伝馬町の木賃宿に泊まる
米屋の施行のくだりはなし。「七月盆中故、毎晩々々貰いに出でけり」が該当か
⑤府中で侍の馬の稽古に出くわす。侍の乗馬が下手だからといって笑い、馬喰に殴られる。中年の侍に「一鞍乗れ」と言われ、馬に乗る。
2、3日与力の家で世話になる
「やうやうと故郷へ帰りたくなり」
丸子(鞠子)へ行くくだりは無し
⑮箱根二子山にて野宿、三度飛脚に銭100文もらう
⑯小田原三枚橋にて、漁師の喜平次と出会う。喜平次宅に奉公。15日滞在
『夢酔独言』では空腹で寝ていたが、『平子龍先生遺事』では腹痛
⑰300文盗んで、喜平次宅を出る
酒匂川を泳いで越す
鈴が森→愛宕山→両国橋
「五月末家出し、閏八月十九日に帰宅しぬ」
・2つのルートの地図上での比較
マンガ『夢酔独言』はタイトル通り、『夢酔独言』を漫画化したもので、後から書かれたこともあり、『夢酔独言』の方の家出エピソードをメインとしてネーム(漫画の草案)を描いていました。
ところが、東海道の宿場の位置を調べるうちに、『平子龍先生遺事』の方が、理にかなったルートを辿っていることに気付いたのです。
地図上でルートを辿ってみます。
・『夢酔独言』ルート
江戸から浜松を経て伊勢へ行ってから、伊勢と府中を何回も行ったり来たりしています。
・『平子龍先生遺事』ルート
江戸から浜松を経て伊勢へ行った後、白子まで戻って体調を崩し、回復したのち石部まで行き、そこから府中へ戻り、再び伊勢へ行った後、江戸方面へ帰るルートです。
こうして比べてみると、『平子龍先生遺事』のルートのほうが、合理的な最短ルートをとっているように感じます。
後で書いた『夢酔独言』では記憶が曖昧になって話を盛ったのか、反対に詳細を思い出して実体験に則したルートになったのか…。