マンガで読める『夢酔独言』

マンガで読める『夢酔独言』

勝海舟の父親・勝小吉の自伝『夢酔独言』がマンガで読めるブログです。

『夢酔独言』主人公の勝小吉はどんな見た目だったか

 勝小吉のビジュアルを、文献、写真から検証してみました。

 

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 マンガに登場する勝小吉像は、イメージです。

 ところで、勝小吉の実際の見た目は、どんなだったんでしょう?

 

 

 ●息子と孫の肖像

 

 

 小吉が生きた時代(1802〜1850)は写真がまだ普及していない時代で、当然肖像写真は残っていません。肖像画もありません。けれど息子・海舟、孫・小鹿の写真は残っています。

 

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・息子・勝海舟の写真

勝海舟の写真は、たくさん残っています。着物に髷姿から、洋装、髭を蓄えた老人の時のものまであります。

 

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・孫・勝小鹿の写真

 

 

勝海舟の見た目に関する文献

 

 

  勝海舟の見た目に関する資料では、だいたいこんな感じ。

 勝麟太郎は大変小柄であるが、よく均整がとれ、たくましく身軽である。鋭い見透かすような目、鉤鼻、やや小さいあご。 アメリカ測量船クーパー号の船長ブルック海軍大尉の日記)

 

 

 西郷と談判して城を明渡したというから、ドンナ男かと思っていたから、コンナ男かと思うほど、小さな男で、髪をアライ髪にしていた。 (宮島誠一郎の談話)

 

 

私は、しじゅう先生(海舟)を「牛若丸」といいました。キレイで、細オモで、小さくて、剣術・柔術が上手で、イクサが上手で、本当に牛若のようでした。 (高木三郎の談話)

 とにかく、小柄ではあったようです。

※ちなみに高木さんの談話は、勝海舟坂本竜馬と長崎へ行った時の話で、坂本竜馬のほうは、大男だったそうです。

 

●勝小吉の見た目(体格)に関する文献

 

 

 では、小吉はどうなのか…。

 残念ながら、顔立ちを推察できるような文献はありません。

 

 『平子龍先生遺事』に、

  拙者小兵故、あまりに長く候ひしが、一度先生に見られ、小男の長刀は格別見事に見ゆるものなりとて悦喜致しける。

とあります。自分のことを小兵(小柄)だと言っています。

 ところが、息子・海舟によると、

容貌魁偉(顔や体が並外れて大きいこと) で若くして撃剣を好み、その奥技に達し、門人数十人を擁していた。

とあります。

 海舟の言葉は小吉の墓碑用コメントなので、良い感じに盛ったんではないかと、個人的に思うのですが…。

 海舟が小柄だったから、父親が平均身長でも、大きく見えたのかもしれません。あるいは、小吉がまだ元気だった頃の、子供時代の印象かも。

 

 気になるのが、『平子龍先生遺事』のこの一節。

 或日予(よ)に飯をたべ候様申され、内弟子に申付けられ出しけるを見るに、黒米の飯にて、椀のふち所々欠け候に盛り、古きおしきに載せ、味噌少々附け出されける故に、五、六椀食しければ、大きに笑われ、我が宅にて、これまで誰にても飯を喰いし人なし。

  ご飯5、6杯って、多くないですか?(しかも、人ん家で出されたやつ)

 

 『夢酔独言』には、こういう記述もあります。

 かんしやくにさはつたから、吸物わんで一ぱゐ呑だら、大勢寄て、「今一ぱゐ」とぬかす。夫(それ)からつゞけて十三ばゐ呑だ。

  …お、多い…。日本酒を吸い物椀で13杯とか、致死量レベルです。そのあとの記憶がないのに、飲んだ量は覚えてるという眉唾エピソードなので、あんまり信用はできませんが。

 これだけの量を一度に胃袋に入れられたんだったら、案外、本当に体は大きかったのかもしれません。

 

 皆さんも、勝小吉を描く際は、以上の情報を参考にしてみてくださいね!

 ちなみに私は小柄説支持派です。

 

 

 

●参考文献

・『勝小吉と勝海舟 「父子鷹」の明治維新』 大口勇次郎 山川出版社

・『勝海舟全集 11』 勝部真長 松本三之介 大口勇次郎 勁草書房

 

 

 

 

 

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