マンガで読める『夢酔独言』

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勝海舟の父親・勝小吉の自伝『夢酔独言』がマンガで読めるブログです。

『夢酔独言』 九十一話 その名を知らぬ者はない

『夢酔独言』 九十一話 その名を知らぬ者はない

 

 小吉36歳。息子・麟太郎は15歳、長女はなに、次女順も産まれました。と同時に、持病の脚気も悪化してきます。

 天保八年(西暦1837)二月、大火で吉原遊郭が焼失。小吉は仮宅(かりたく)へ通います。あるとき、銭座(=鋳銭所)の息子とケンカになった小吉。息子を店の二階から投げ落とします。すると銭座の手代たちが仕返しに押し寄せてきて、小吉は30人相手に一人で叩き合うことに。…脚気で足が痛いのに、闘えるのか?

 

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※6、7ページは最近急きょ差し替えたため、絵がラフになっております。

 

 小吉は30歳頃から脚気をわずらっている描写があり、晩年は重症化して、寝付いたこともありました。

 脚気は「江戸患い」とも言われ、江戸では脚気が原因で、命を落とす人が少なくありませんでした。精米した白米ばかりを食べて、ビタミンB1が不足したためです。反対に、農村で玄米を食べていた人達は、脚気にならず長生きだったといいます。

 

 おれが隠居する前年だが、吉原が焼て諸方へ仮宅ができた。其時、山の宿の佐野槌屋の二階で、橋場の銭座の息子熊といふ者と大げんくわをしたが、熊を二階から下へなげ出してやつたが、其時銭座の手代が二、三人来て、熊を連て帰たが、少し過ると三十人斗り(ばかり)長かぎで来て、佐野槌屋をとり廻ひたから、おれがはだをぬいでじゆばん壱つで、高もゝ立を取て飛び出して、…

 

 「吉原が焼て」とありますが、これは天保八年(西暦1837) 2月の吉原大火を指します。「佐野槌屋」は小吉の行きつけだったようで、後にも名前が出てきます。佐野槌屋は、明治に入っても営業していた大見世らしいです。

 

 前半、銭座の親父さんと小吉が一緒に女郎を揚げて遊んでいるくだりがありますが、フィクションです。いくら付き合いでも、武士である小吉が商人と一緒に遊ぶのは考えにくいです。銭座の息子とは、ちょっと態度が気に食わないとかでケンカになったんだと思いますが、毎度そのパターンだと単調なので、ムリヤリこのような流れとなりました。

 

 あと、小吉が骨格模様の襦袢を着ていますが、「ダッセエ」ととるか、「カッコイイ」と思うかは、皆様にお任せいたします。私も描いた当時はイケてると思ったんですが、5日後には「キメ過ぎてて逆にダサいかな…」と思いました。

 

 

 

 九十二話「怖くって名も呼べぬ」に続きます。

 

musuidokugen.hatenablog.com

 

 

 

 

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