『夢酔独言』 百四十四話 終わりと始まり
嘉永元年(西暦1848)秋、蘭日辞書『ヅフ・ハルマ』の写本を完了した麟太郎。オランダ語の塾を始め、生徒集めに奔走します。
一方、父親である夢酔(小吉)の体は、病により衰弱していき…。
今回のお話は、勝海舟が嘉永元年(西暦1848)八月に蘭日辞書『ヅフ・ハルマ』の写本を完了させた記録と、勝海舟の発言をまとめた『氷川清話』から構成したもので、夢酔(小吉)のくだりとかは、フィクション演出です。
赤坂(麟太郎夫婦住まい)から鶯谷(小吉夫婦住まい)の距離を知らずに描きました。昔の人は健脚なんです(※勝海舟が、鶯谷の両親の住まいを訪ねたという記録はありません)。
前回百四十三話で「赤坂へ行きたい」と言っていた小吉ですが、「最早外を出歩いてはならねえ」体になってしまいました。
麟太郎を呼んでくれと自分で言ったくせに、妻の信が勝手にやったみたいな演出をしています。
※「義邦」は麟太郎の諱(いみな)です。
一方、麟太郎(後の勝海舟)は史実通り、1年かけて『ヅフ・ハルマ』の写本を完成させます。
↑こちらを2セット写しました。
(『勝小吉と勝海舟 「父子鷹」の明治維新』 大口勇次郎 山川出版社 より)
当時麟太郎は天井板も畳もボロボロの貧乏生活でしたが、本屋さんで知り合った函館の商人・渋田利右衛門さんと交流があり、紙も送ってもらっていたようです。
※渋田さんと出会った時期は、厳密には不明です。
『ヅフ・ハルマ』の写本を1組は売り、1組は自分の塾の教科書とした麟太郎。これは史実通りですが、いつ頃塾を開いたか、生徒や教えていた内容の詳細など不明です。資料によると、蘭学ではなくて、オランダ語教室みたいなレベルだったとか。
ここからフィクション演出になります。
無名の麟太郎の塾に生徒が集まるはずもなく、蘭学の師匠・永井青崖(ながいせいがい)先生のところへ駆け込んで、弟子のおさがりを要求します。
いろいろもっともらしいことを言いますが、こちらの発言は、『氷川清話』より。
人はどんなものでも決して捨つべきものではない。いかに役に立たぬといっても、必ず何か一得はあるものだ。おれはこれまで何十年間の経験によって、このことをいよいよ間違いないのを悟ったヨ。
まぁ、本人が言っている通り、この時の麟太郎(26歳)は、そんなこと思ってなかったかもしれませんが…。
永井先生の勧めで、佐久間象山に会いに行くことになった麟太郎。
百四十五話へ続きます。勝小吉、最期の日。
お楽しみに!