マンガで読める『夢酔独言』

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勝海舟の父親・勝小吉の自伝『夢酔独言』がマンガで読めるブログです。

『夢酔独言』 百四十二話 金と蘭書

『夢酔独言』 百四十二話 金と蘭書

 

  とある書物屋で、渋田利右衛門という函館の商人と知り合った麟太郎。二人は本について語り合いますが、麟太郎は貧乏暮らしで立ち読みばかり、片や渋田さんは、江戸に来ては珍本を買い集めているという…。

 そんなある日、渋田さんが麟太郎宅を訪ねます。

 

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  今回も、前回に続き、勝海舟の発言をまとめた本『氷川清話』を元にしています。

 前回のお話はこちら↓

musuidokugen.hatenablog.com

 

  ざっくり、前回までの流れ。

 弘化三年(西暦1846)、両親の元から独立し、妻の(26歳)妹の(11歳)とともに蘭学の師匠である永井青崖(ながいせいがい)先生の住む赤坂へ引っ越した麟太郎(24歳)。

 収入源のない麟太郎は極貧生活に陥り、書物屋で立ち読みをする日々を送っていた。

 ある時、書物屋の紹介で、麟太郎は函館の商人・渋田利右衛門と知り合う。渋田について、商人ながら「高尚な人物」と思う麟太郎。お互い本好きだったが、経済格差は明らかだった…。

 

 二、三日すると、渋田は自分でおれの家へやって来た。この頃のおれの貧乏というたら非常なもので、畳といえば破れたのが三枚ばかりしかないし、天井といえばみんな薪に使ってしまって、板一枚も残っていなかったのだけれども、渋田は別段気にもかけないで落ち着いて話しをして、かれこれするうちに昼になったから、

「私が蕎麦でもおごりましょうか」

と財布より銭を出し、一緒にこれを食って平気でいる。そしていよいよ帰りがけになって、懐から二百両の金を出して言うには、

「これはわずかだが、書物でも買ってくれ」

と言った。

 あまりのことに、おれは返事もしないで見ていたら、渋田は、

「いやそんなにご遠慮なさるな、こればかりの金はあなたに差し上げなくても、じきに訳もなく使ってしまうのだから、それよりは、これであなたが珍しい書物を買ってお読みになり、その後を送ってくだされば、何より結構だ」

と言って、強いて置いて帰ってしまった。この罫紙も実はその時に渋田がくれたので、

「面白い蘭書があったら翻訳してこの紙へ書かせてくだされ、筆耕料などは今の二百両から出してくだされ」

と頼んだのだけれど、実際はおれが貧乏で髪にも乏しかろうと思って、それでくれたのだ。その後もたびたび罫紙を送ってくれたが、この日記帳もつまりその紙で綴じたのだ。

 『氷川清話』より、はやおきによる現代仮名遣いで

 

 

 

 順を追って解説です。

 

  渋田さんが「蕎麦でもおごりましょうか」と言うくだりがありますが、漫画では蕎麦屋さんに食べに行っていますが、どうも読んだ感じ、家で食べたっぽいのです(お蕎麦屋さんへいったなら、その記述がある方が自然)。

 江戸時代、蕎麦の出前があったのか謎なので、お店にしましたが、清書の際は、家で食べた描写にするかもしれません。

 

 

 

 で、なんやかんやあっていきなり二百両をもらう麟太郎ですが、これは棚からぼた餅というよりも、書物屋の嘉七さんの策略と考えれば、合理的な展開です。

 そもそも渋田利右衛門さんとは嘉七さんの紹介で知り合ったのですが、嘉七さんから見れば、麟太郎は立ち読みばかりする迷惑客。武士だから追い払うわけにもいきません。そこでもう一人の常連である渋田さんと麟太郎を引き合わせることで、今回の展開に持っていき、自分の店の本を麟太郎に買わせようとしたのではないでしょうか。

 また、渋田さんも、自分の代わりに珍本探しを麟太郎にさせ、読んだ後は自分に送れと言っているわけですから、麟太郎は渋田さんの下請けのようなものです。

 

 とはいえ、麟太郎も降って湧いたお金で好きな本を買えるわけですから、三方損なしの素晴らしい三位一体ですね。言い回し合ってるのか知りませんが。

 

 

 

 漫画では渋田さんの出番はこれでおしまいですが、『氷川清話』には、続きのエピソードがあります。

 

 それからというものは双方絶えず音信を通じていたが、おれがいよいよ長崎へ修行に行くことになると、渋田は非常に喜んで、

「これでこそ私の平生の望みも達したというものだ、私も一度は外国の土地までも行ってみたいと思うけれど、親の遺言もあるから自由なことはできない。が、今日あなたに斯様なご命令の下ったのは私に下ったのと同じように私は心得ているから、どうぞ十分にお勉強なさい」

と言って、おれを励ませてくれた。おれもこの男の知遇にはほとほと感激して、いつかはこれに報ゆるだけのことはしようと思ったのに、渋田はおれが長崎に居る間に死んでしまった。こんなざんねんなことは生まれてからまだなかったよ。

 

 麟太郎が長崎へ行っていたのは、安政二年(西暦1855)六月~安政六年(西暦1859)正月まで。出発した年、麟太郎は33歳でした。

 この間、蘭学の師匠の一人、都甲斧太郎先生も亡くなっています。

 

 

 

 さて、本編に戻って、麟太郎は蘭辞書『ズフ・ハルマ』を入手します…が。

 漫画化担当者(自分)が何となくの知識でネームを一通り描いてしまい、公開日(今日)の昼に念のため調べ直したら全然違ってたので、大変な目に遭いましたとってもどうでもいい

 

【ヅーフ・ハルマ】

 オランダのハルマの編さんした「蘭仏辞書」を元に商館長ヅーフが長崎の通詞たちと二十年以上かけて完成させた蘭日辞書。当時は一般の刊行が許されなかったので、蘭学に興味を持つ大名は大金をだして写本をつくらせていた。

『勝小吉と勝海舟 「父子鷹」の明治維新』より

 

 で、資料写真があって、勝海舟が実際写したっていう10冊の本が写ってたんですよ。

 

 それをちゃんと確認せずに、「そういうでっかい本が1冊あって、どっかの本屋さんで買ったんだろう、しかし本屋さんの仕入れルートすごいなとか思ってネームを描いてしまったんです。

 で、実際は全然違ってたので、8、9ページと前後のコマは差し替えとなっております。今日、頑張って描きました。

 永井先生の前回のオランダ語ド忘れとか、「家の金には手を付けない」と宣言したのを速攻で破ってるとか、何話か前に麟太郎が一日一文で本を買う(借りる)とか言ってたのが伏線みたいになってますけども、全部たまたま偶然のケガの功名です。結果オーライ!

 

 そんなこんなで、『ヅフ・ハルマ(ヅーフ・ハルマが一般的ですが、勝海舟がそう言ってるので)』を写本することになった麟太郎。いっぱいあるけど大丈夫か!?

 

 

 

 百四十三話に続きます。麟太郎も頑張りますが、『夢酔独言』の主人公・勝小吉も登場(予定)します。

 お楽しみに!