勝小吉自伝『夢酔独言』より、小吉14歳、一度目の家出エピソードその13です。
約4ヶ月間、放浪の旅を続けていた小吉でしたが、ついに江戸の家へ帰る決心をします。
小田原の奉公先を出て、鈴が森を経て高輪へ来た小吉。高輪の海苔採り船の下で眠りますが、寝過ごしてしまい、地元の人に見付かってしまいます。










…あくる日、日が昇っても寝ていたから、所の者が三、四人出て見付けて叱りおった。
詫びをしてそこを出て、飯を食いなぞして愛宕山へ来て、一日寝ていて、その晩は坂を下りるふりをして山の木の茂みへ寝た。
三日ばかり人目を忍んで、五日目には夜両国橋へ来て、翌日回向院の墓場へ隠れていて、少しずつ食物を買って食っていたが、しまいには銭が無くなったから、毎晩毎晩垣根を潜り出てもらっていたが、夜はくれ手が少ないからひもじい思いをした。
※はやおきによる現代仮名遣いで引用
小吉が江戸市中を移動していきます。※東海道中は当時のパンフレットに載ってた距離を集計して割り出せてたんですが、江戸市中となるとその辺がさっぱり分からんので、手っ取り早くGoogle先生に聞いて距離を教えてもらいました(何故か京都の愛宕山を優先的に教えてくれる)。東京近辺にお住まいの皆様は、各々「あの辺かー」と思っといてください。
まず高輪→愛宕山(約4.5km)。漫画では愛宕山で飯を食べてますが、原作では「飯をくひなぞしてあたご山へきて」とあります。当時の愛宕山には茶屋があって、そこで飲み食いできました。「三日ばかり人目をしのんで」とあります。

幕末・明治時代頃の愛宕山(横浜開港資料館編 『F.ベアト写真集Ⅰ 幕末日本の風景と人びと』 明石書店 より)。
5日目の夜、愛宕山→両国橋(約6.4km)。
翌日、回向院の墓地(約550m)。
小吉の実家である男谷家は本所亀沢町にあるのですが、だんだん近付いていってますね。

回向院奥の墓場に乞食の頭があるが、おれに、
「仲間へ入れ」
と抜かしおったから、そやつの所へ行って、したたか飯を食い倒して、それから亀沢町へ来てみたが、何だか敷居が高いようだから、引き返して二ツ目の向こうの材木問屋の河岸へ行って寝た。
三日目に朝早く起きて、家へ帰ったが、…
物乞いの頭(かしら)に「仲間へ入れ」と言われて、流れるように食い逃げする小吉。ヒドい。
そして回向院→亀沢町(約1.6km)。「なんだかしきへ(敷居)が高いよふだから」と、「二ツ目の向こふの材木問屋のかし(河岸)」へ行って寝ます。亀沢町から二の橋を渡った向こう側のことと推測できますが、その辺(深川)は材木問屋がいっぱいあるので、どの辺か特定するのは困難でした。
両国橋から本所側の位置関係はこんな感じです。○が男谷家。

勝小吉もう一つの著作『平子龍先生遺事』ではこんな感じ。
それより愛宕山へ二日籠り居て、三日目に両国橋へ参り、夜中に実家方へ帰りけり。
鈴が森を過ぎてからは、アッサリめに語られています。
『夢酔独言』では朝早く帰っていますが、『平子龍先生遺事』では夜中に帰っています。つまりどっちでもいいってことだね!と思って、漫画では午前3時くらいにしました。
二十五話「小吉は隠居いたすべき」に続きます。
帰宅した小吉ですが、金玉が崩れたり、隠居させられそうになります。
お楽しみに!