勝海舟の父親・勝小吉の自伝『夢酔独言』の四話目、小吉が7歳の時の話です。
男谷家から勝家へ養子入りした小吉。勝家の5歳の娘・信(のぶ)が許嫁です。
同じ年、またまた凧でモメて、2、30人の子供を相手にケンカになり敗北、切腹をすることに…!?
※冒頭と最後の小吉と信のやりとりは、原作にはありません。
あと、信の髪型は一見「何じゃこりゃ!?」と思うんですが、こんな感じだと思ってください。(くもん子ども研究所『浮世絵に見る江戸の子どもたち』より)
原作の該当箇所です(はやおきによる現代仮名遣いで引用)。
この年に凧にて前丁と大喧嘩をして、先は二、三十人ばかり。おれは一人で叩き合い、打ち合いせしが、ついにかなわず、干鰯場(ほしかば)の石の上に追い上げられて、長棹(ながさお)でしたたか叩かれて、散し髪になったが、泣きながら脇差を抜いて、切り散らし、しょせん儚く思ったから、腹を切らんと思い、肌を脱いで石の上に座ったら、その脇にいた白子屋という米屋が止めて、家へ送ってくれた。それよりしては近所の子が、みんなおれが手下になったよ。おれが七つの時だ。
※原作でよく使われる「○○が」という表現、「○○の」という意味の場合が多々あります。「我が」とかと同じノリです。慣れるか、漫画の絵で補完してくださいませ。
さて、ここに登場する「干鰯場」ですが、「銚子場」とも呼ばれ(銚子が干鰯の産地だったことから)、畑の肥料にする干鰯(ほしか)を運んできて、問屋が取引をする港のような場所だったようです。
小吉や町の子供たちは、そういう場にドヤドヤ大勢で乗り込んで、大立ち回りをしていたわけです。切腹すると騒ぎだす小吉、慌てて止める米屋さん…と、当時のにぎやかな日常風景が想像できます。
五話で参照する地図を見ていたら、「ホシカハ(干鰯場)」を見つけました。
小吉が養子入りした年のエピソードということで、凧で揉めたということはもしかしたら正月、つまり養子入りより前の出来事だったかもしれませんが、早いとこ小吉には「男谷亀松」から「勝小吉」になってほしかったので、養子入り後の出来事としました。
実は小吉が切腹するのは、これが最後ではないのですが…
五話「百物語」に続きます。
深川から駿河台へ移り住んだ小吉一家。夏のある夜、パパさん主催の肝試しが敢行されます。
お楽しみに!