マンガで読める『夢酔独言』

マンガで読める『夢酔独言』

勝海舟の父親・勝小吉の自伝『夢酔独言』がマンガで読めるブログです。

原作『夢酔独言』に登場する場所・人その他忘備メモ(子供時代)

 原作『夢酔独言』に登場する場所・人です。はやおきの忘備録として。

 見出しは、平凡社東洋文庫版のものをそのまま適応します。漫画の話数だと、順番が前後したりするので。

 全編一記事にまとめようとしましたが、けっこう膨大になったので、時期で分けます。子供時代は、小吉0~13歳分です。

 

 

 

鶯谷庵独言

※教訓ベースなので、具体名はほぼ無し

・御当家…徳川家

・息子/義邦…小吉の長男・麟太郎。義邦は諱(いみな)

・娘…小吉の長女「はな」か。「おれが娘は十四歳のときから」とあるので、『夢酔独言』執筆時点(天保十四年、夢酔/小吉42歳)で8歳の次女・順(天保七年生まれ)ではない

・旦那…将軍

・家内…家族

東照宮徳川家康

・左衛門太郎入道/夢酔老…小吉

 

 

 

・出生

・妾/母親/お袋…男谷平蔵の妾。彼女の家で小吉は産まれたという

・親父…小吉の父・男谷平蔵。日勤のお役所勤め

・本当のお袋…平蔵の妻か。小吉(亀松)を引き取った。中風(脳卒中の後遺症か)で立ち居が不自由

・乳母…「乳母で育ててくれた」とある

・利平次/利平爺…男谷家の用人

・男谷家の家来…利平次以外は皆女だったとある

・兄貴…男谷彦四郎。別宅していた

 

・深川油堀…男谷家の住所。汐入の池(海水を引いた池)があった

 

 

 

・五歳のとき

・長吉…前町の仕事師の子。亀松(小吉)の3歳年上

・侍…男谷家の家来。利平次以外女ばかりじゃなかったのか…

 

・谷中の感応寺…小吉が利平次を堂番として入れた。小吉30歳頃、利平次死去

 

 

 

・七歳・養子・凧喧嘩

・養家…勝海舟記念館の資料によると、本所割下水津軽越中守東門前横町酒井万吉の地面。亀松(小吉)の判元見届をした場所

→石川右近将監…小普請支配

→小尾大七郎…組頭

→青木甚平…大御番、勝甚三郎(養父)の兄。版元見届の取持(仲介?)をした

 

・亀松/小吉…勝小吉。亀松は幼名。「養子へいつて小吉となつた」とある

・祖母…信の祖母。小吉の姑

・孫娘…信。小吉の許嫁

・両親…信の両親。この時すでに死去。父は勝甚三郎

・深川…この頃、男谷家は深川に住んでいた。勝家の二人を引き取って世話をしたとあるが、同居していたか不明

・前丁…深川油堀男谷家の前町か

・二、三十人…前丁の子供か

・干鰯場

・白子屋…米屋

 

勝海舟記念館の資料によると、版元見届が行われたのは文化六年(西暦1809)、小吉が8歳の年。この年、男谷家は深川→本所へ屋敷替えすることになり、普請中、駿河台で暮らしている。そこに勝家の2人の気配はない。2人を引き取るにあたり屋敷替えしたのか、…。

※いずれにせよ、干鰯場でのくだりは亀松時代のエピソードの可能性が高い。なぜなら凧喧嘩≠年初だから。漫画では早く「勝小吉」になってほしかったので、意図的に養子入り後おエピソードとしています…が、今後変える可能性はあります。

 

 

 

・八歳のとき

・深川の屋敷…男谷家の住居

・若林の屋敷…駿河台の太田姫稲荷の向い。男谷家が仮住まいした。隣に5、600坪の原がある

 

・養家の婆あ殿…小吉の姑

・両親…ここでは信の両親

・親父…小吉の父親

・清という妻…このくだりにのみ登場。小吉の義母かと思うが、いつもは「お袋」と書いているので違う人かも

 

・本所の普請…亀沢町。「はじめてばゝどのと一所になつた」とある

・安西養次郎…当時14歳

・近所の武士の子

→黒部金太郎、兼吉

→篠木大次郎

→青木七五三之助

→高浜彦三郎

・鉄朔…小吉の弟。2歳年下

・亀沢町と緑町の子供…4、50人(後に大人が混じる)

→弁次…前町の仕立て屋の子

 

・滝川…男谷家の隣家か。「隣の」とある

・長屋…小吉の父が一部始終を見ていた

 

 

 

・九歳のとき

・鈴木清兵衛…柔術の先生で勝家の親類。御細工頭。横網

→一橋・田安…徳川御三卿。他に清水。鈴木先生の弟子

 

・榛の木馬場…小吉が横網町の稽古場へ行く途中、待ち伏せされた。土手がある

・前町の子供とその親…亀沢町の子か。計4、50人

・御竹蔵…二間ほどの沼堀がある。門番は小吉と仲良し

・縫箔屋の辰…榛の木馬場での待ち伏せメンバーの一人。亀沢町

・中間…男谷家の家来。小吉が辰を殴っているのを止めて、辰の家に行って親に事情を説明した

 

 

 

・実際のころ・馬の稽古

・一色幾次郎…馬の先生。深川菊川町にて、両番を勤める

・神保磯三郎…馬の稽古に屋敷を貸した。伊予殿橋。禄高6000石

・大久保勘次郎…競め馬の師匠

・藤助、伝蔵、市五郎…借馬引き。小吉に馬を貸した

・馬喰町…小吉が馬で火事場に乗り込んだ

・今井帯刀…御使番。馬喰町から本所津軽屋敷まで追いかけた

・本所の津軽津軽上屋敷

隅田川…土手を馬(伝蔵から借りた)で走った

 

 

 

・十一歳のころ

駿河台…鵜殿先生の稽古場がある

・鵜殿甚左衛門…剣術の先生。御簾中様の用人。中也派一刀流の名人

・石川右近将監の息子…後の石川太郎左衛門。御徒頭

 

 

 

・十二歳のころ

・林大学頭…幕府の役職。学問所の管理運営をした

・聖堂…駿河台にある学問所

→保木巳之吉、佐野郡左衛門…学問の先生

・さくらの馬場…聖堂の隣にある馬場

 

 

 

・十三歳のころ

・兄よめ…男谷彦四郎さんの妻・お遊さんか。