マンガで読める『夢酔独言』

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勝海舟の父親・勝小吉の自伝『夢酔独言』がマンガで読めるブログです。

マンガ『夢酔独言』 二十二話「小吉、漁師になる」

    勝小吉自伝『夢酔独言』より、小吉14歳、一度目の家出エピソードその11です。

 箱根山中で崖から転落して、金玉を打った小吉。小田原三枚橋で休んでいると、人足に「ウチで奉公しない?(意訳)」とスカウトされます。マンガ『夢酔独言』、漁師編スタートです。

 

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  その中に四十くらいの男が言うには、

「オレの所へ来て奉公しやれ。飯はたくさん食われるから」

と言う故、一緒に行ったら、小田原の城下のはずれの横丁にて、漁師町にて喜平次という男だ。

 おれを家へ入れて、女房や娘に、

「奉公に連れて来たから、かわいがってやれ」

と言った。女房娘もやれこれと言って、

「飯を食え」

と言う故、飯を食ったらきらず飯だ。魚はたくさんあって、焼いてくれた。

 一日経つと、

「明日よりは海へ行きて船を漕げ」

と言うから、江戸にて度々行った故、

「はいはい」

と言っていたら、

「小僧の名は何という」

と聞くから、

「亀という」

と言ったら、

※はやおきによる現代仮名遣いで引用

 

 小田原の三枚橋で人足の喜平次に「奉公しやれ」とスカウトされた小吉は、「城下のはづれの横丁」にある喜平次の家へ行きます。

 勝小吉もう一つの著作『平子龍先生遺事』でも一度目の家出の一部始終が語られていますが、そこでは「小田原の浜辺町にて、城下より余程東なり」とあります。

 

    小田原宿周辺はこんな感じ。

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   三枚橋が左手にあり、小田原城が右にあって、「余程東」ということから、喜平次の家は右下辺りにあったものと推測できます。

 

 喜平次宅の家族構成は、喜平次女房の三人。

 小吉は「亀」という偽名を使いますが、幼名の「亀松」から取ったものと思われます。

 「きらず飯」というメニューが登場しますが、おから(きらず)を混ぜて炊いたご飯のことです。『平子龍先生遺事』によると、「不断(いつも)の食事は米一升にきらず二、三升入りしをたべ申し候。海へ出づるには皆米飯なり」とあります。けっこうおからの割合が高い。

 

お鉢の小さいのを渡して、

「これに弁当を詰めて朝七つより毎日毎日行け。手前は江戸っ子だから、二、三日は海にて飯は食えまいから、持って行くな」

と、喜平が言いおるから、おれは、

「江戸にて毎日海へ船を乗ったから、怖くはない」

と言ったら、

「いやいや、江戸の海とは違う」

と言うから、それでも聞かずに弁当を持って行った。

 

 「船酔いするから弁当は持って行くな」と言われたのに、無視して弁当を持って行く小吉。

 喜平次に「江戸にて毎日海へ船を乗ったから、怖くはない」と言う小吉ですが、その直前に「江戸にて度々(海へ)行った」とあり、「度々」なのを「毎日」と、サラッと話を盛っています。

 

 ところで、東洋文庫版『夢酔独言』の小見出しには「小田原の漁師喜平次」とありますが、喜平次が漁に出ていたという直接的な描写はなく、「喜平次は漁師町に住んでいる人足で、小吉はその家に奉公して漁に出た」可能性もあるように思います。漁師町の人が全員漁師なのか否か、よく知りませんが…。

 

 

 

 そんな訳で、小吉の奉公生活がスタートします。

 

 それから同船のやつが家へおれを連れて行って頼んだら、

「明日より早く来い」

と言う。それから毎朝毎朝船へ行ったが、皆が言うには、

「亀のあるく形(なり)はおかしい」

と言いおる。そのはずだ、金玉の腫れが引かずにいて、水がぼたぼた垂れて困ったが、とうとう隠し通してしまったが、困ったよ。

 毎日、朝四つ時分(午前10時頃)には沖より帰って、船を陸へ三、四町曳き上げ、網を干して、少しずつ魚をもらって帰って、小田原の町へ売りに行った。

 それから家へ帰って、きらずを買ってきて、四人の飯を炊くし、近所の使いをして二文三文ずつもらった。家の娘は三十ばかりだが、いいやつで、ときどき西瓜なぞを買ってくれた。女房はやかましくって、よくこき使った。

 喜平は人足故、家へは夜ばかり居たが、これは優しい親父で、ときどき菓子なんぞ持ってきてくれた。十四、五日ばかり居ると、子のようにしおった。

 おれに江戸のことを聞いて、

「おらが所の子になれ」

と言いおる故、そこで考えてみたが、何にしろおれも武士だが、家を出て四ヶ月になるに、こんなことをして一生いてもつまらねえから、江戸へ帰って、親父の了簡次第になるがよかろうと思い、

 

 箇条書きにすると、こんな感じ。

・朝、漁に出る

→朝四つ(午前10時)頃に帰還

→船を陸へ三、四町(約3、400m)引き揚げる(※画面構成の都合で最後のコマの浜が激狭になってしまいましたが、ここを読むとそんな訳ないので後で何とかします…)

→魚を分けてもらって小田原の町で売る

・帰宅後、喜平次の家で家事

→炊事、お使いなど

 

 物乞いや野宿の時もそうでしたが、今までやったこと無いような種類のハードワークをやるのに、全然抵抗とか葛藤が感じられなくてすごいです。

 あと、喜平次が「四十(歳)くらい」なのにその娘が「三十ばかり」って、どうなってんだ…。

 『夢酔独言』でお菓子が登場するのはこれで三回目です。他のいろんなことを省略しているのに対して頻度がめちゃくちゃ高いので、小吉はお菓子大好きだったと思われます。

 

 

 

 2週間ほどの奉公生活の末、小吉は「うちの子になれ」と言われます。この流れは2回目なんですが(十七話参照)、そう言われると急にそこの家を値踏みし始める小吉(この流れも2回目)。そして、「つまらねへ」と思い(2回目)、奉公先を逃げ出すことにするのでした(2回目)。

 

 

 

 『平子龍先生遺事』での小田原のくだりはこんな感じです。平山行蔵相手に語る形式なので、若干威勢がいいです。

 

小田原の浜辺町にて、城下より余程東なり。漁師町にて、朝七つ時(午前4時頃)より船出し魚を取り、五つ時(午前8時頃)には上陸し、繩網を干すに、不断(いつも)の食事は※一升にきらず二、三升入りしをたべ申し候。海へ出づるには皆米飯なり。手前はなか々々初めての日は飯は持つまじ。船に酔ひていかぬものなりと云ふ。拙者江戸にて不断海上を日々網を打ち候梶子致し候故、少しも恐れず、船に揺られ腹も減りし故沢山食事致しければ、扨々珍しき奴なり。江戸より参り候者、是まで船中にて食事致す者あまりなしと申しけり。それより十五日致し、右宿主嘉蔵と申す者方に居り、

※『平子龍先生遺事』より引用

 

 

 

 天狼星の輝き様より、この記事の内容についてコメントをいただきました。「四方山話の一つとして」という前置きを付けたら紹介してもよいとのことで、その内容をここに転載します。 

恐らくその娘さんは実際は妹だと。喜平次の両親が早くに亡くなったとすると幼い弟妹が兄(次当主)の養子となる場合があるので、それに該当するかと。縁談や役職は当主基準で縁づいたり決められたりするので、先代当主の子より現当主の子が有利になります。

 

 天狼星の輝き様、ありがとうございました。

 

 

 二十三話「またまた逃亡(仮)」に続きます。

 喜平次の家を逃げ出して、江戸を目指す小吉ですが…。

 お楽しみに!