勝小吉自伝『夢酔独言』より、小吉14歳、一度目の家出エピソードその10です。
石部(現代の滋賀県)で出会った親方に「江戸へ帰れ」と言われ、府中(現代の静岡県)まで連れてきてもらった小吉でしたが、その晩に親方がケンカ騒ぎを起こし、小吉と別れることになります。
放浪の旅を再開した小吉ですが、崖の所で寝て、当然ながら崖から転落します。
岩の角にて金玉を打ったが、気絶をしていたと見えて、翌日ようよう人らしくなったが、金玉が痛んで歩くことがならなんだ。
二、三日過ぎると、少しずつ良かったから、そろそろと歩きながらもらって行ったが、箱根へかかって金玉が腫れて、膿がしたたか出たが、我慢をしてそのあくる日、二子山まで歩いたが、日が暮れるから、そこにその晩は寝ていたが、夜の明け方、三度飛脚が通りて、おれに言うには、
「手前夕べはここに寝たか」
と言う故、
「あい」
と言ったら、
「強いやつだ。よく狼に食われなんだ。今度からは山へは寝るな」
と言って、銭を百文ばかりくれた。
※はやおきによる現代仮名遣いで引用
まず、小吉がどこで転落したかですが、親方と別れた府中(現代の静岡県)~二子山(現代の埼玉県)の間の崖、つまり山がある場所と推測できます。小吉は基本、整備された東海道を進んでいるので、意外と候補は限られてきます。
まず、府中~箱根(二子山の南にある宿場町)はこんな感じ。
距離は17.5里101町23間、約32.45㎞です。
小吉は一日最大約50㎞歩けますが、病み上がりなのと、箱根の山岳地帯を経ているので、進むのに一週間程度かかったと思われます。
その間、小吉の転落場所候補は二つ。
まず、奥津宿・油井宿間の薩埵峠(さったとうげ…現代の静岡県。絵図には磐城山とある)。
※この絵図で道に線路みたいに横線があるのは、勾配があるためと思われます。
もう一つが、三島・箱根間の箱根山岳地帯(現代の神奈川県)。基本ずっと山です。
赤丸が二子山。
ここでヒントになるのが、転落後、再出発した「あくる日」に二子山まで来ていること。
薩埵峠から箱根まで約24㎞あり、さらに二子山までとなると、崖から転落した後の小吉に一日踏破は難しいと思われ、そうすると、三島・箱根間のどこかで転落した可能性の方が高いんでないかと思います。
※「がけのところにその其ばんは寝たが、どふいうわけか、がけより下へ落ちた」は、落ちてから崖と気付いたか(夜なので暗くて判らなかったとか)、ホントに崖と思いながら寝て、当たり前に落ちたかのどっちかと思います。
※「箱根へかかって」とあるから箱根より手前なんじゃないか?とも思いますが、原作で言っている「箱根」は、山岳地帯を抜けた箱根の宿場町を指しているものと思われます。清書でも、そのへんがあいまいで、箱根山中で「箱根へかかって」の場面を描いていますが…後で何とかします。幕末明治の写真集で箱根山中が写ってる写真があって、そこを描きたくてつい…。
二子山まで来た小吉は、日が暮れるのでその晩は寝て、明け方、三度飛脚(江戸・京都間を行き来する飛脚)と出会い、「今度から山へは寝るな」と言われます。
2人の会話から分かる通り、小吉は山を通ってきたようですが、どうやら、小吉は手形を持ってないからか(江戸方面へ越すのはワリと基準がユルかったらしいですが、よく知らないので何とも言えませんが)、箱根関所を避けて西側へ迂回して、二子山まで行ったようです。そんで、右手から来た三度飛脚と出会った、と…?
そんなめちゃくちゃハードなルートを一日で歩いたのか?とは思いますが…。
それから三枚橋へ来て、茶屋の脇に寝ていたら、人足が五、六人来て、
「小僧や。何故寝ている」
と言いおるから、
「腹が減ってならぬから寝ている」
と言ったら、飯を一杯くれた。
その中に四十くらいの男が言うには、オレのところへ来て奉公しやれ。飯はたくさん食われるから」
その後、箱根・小田原間にある三枚橋へ来た小吉。
二子山から東海道へ戻ってもいいですが、飛脚が来たルートを通っても、三枚橋まで行けるようです。
そこで、人足の一人に「ウチに奉公しない?」と誘われる小吉ですが…。
ところで、一度目の家出のくだりは勝小吉もう一つの著作『平子龍先生遺事』でも一部始終が語られていますが、崖から転落したくだりは、丸ごと省かれています。
順番は、府中の与力の家を逃げ出した直後。『平子龍先生遺事』では、『夢酔独言』ではバラバラになっている府中でのエピソードが、一塊にまとめられています。
…いろ々々江戸の様子聞かれうるさき故に出奔致し、又々乞食し、伊勢へ参り、それより心付きて、やう々々と故郷へ帰りたくなり、江戸へ帰り申すべくと、或日箱根二子山に寝しに、紀州の三度飛脚が朝早く通り、手前は昨晩此山に寝候やと申す。さやう(左様)と挨拶しければ、扨扨(さてさて)大胆の奴なるかな。よくぞ狼に食はれ申さぬ。我等は手前のまねは出来ずとて誉め候上、鳥目百文くれ申候。翌日三枚橋にて腹痛み難儀故に、或茶屋の腰掛の脇に伏し居たるに、小田原の人足五、六人参り居りしが、どうか致せしかと尋ね候故、腹痛の由申聞け候。いかにも不便なり。ちやうど我が内にて、手前の年頃の者が入る故、奉公に参りくれぬかと申しける故に…
※『平子龍先生遺事』より引用
茶屋の脇で寝ている理由が、『夢酔独言』では「腹が減ってならぬから」なのが、「腹痛」になっています。
二十二話「小吉、漁師になる(仮)」に続きます。
小田原の家に報告することになった小吉(ネタバレ)。早朝は漁に出て、家では炊事やお使いをこなす小吉でしたが…。
お楽しみに!