マンガで読める『夢酔独言』

マンガで読める『夢酔独言』

勝海舟の父親・勝小吉の自伝『夢酔独言』がマンガで読めるブログです。

マンガ『夢酔独言』 番外編(『詠め草』より)

 突然ですが、勝小吉の著作の一つ『詠め草(ながめくさ)』より(個人的には読んでたけどもブログで書いたことなかった)、天保十一年(西暦1840)、夢酔(小吉)が39歳の時のお話です。主に夢酔が詠んだ歌から膨らました、ほぼほぼフィクション演出です。15分で考えて2日で書きました。

 

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 『詠め草(ながめくさ)』は、講談社勝海舟全集別巻「来簡と資料」に収録されている、勝小吉の著作の一つです。

 タイトルのそばに「子ノ末春」とあり、「おのれこの程罪なくてつみを上よりうけ」「四十路近くに両度の罪を蒙し身」とあるので、小吉が40歳頃の子年と見当をつけて、天保十一年(西暦1840)、夢酔(小吉)39歳の春、他行留(たぎょうどめ…外出禁止)を言い渡されて1ヶ月後くらいに書かれたものと推測できます。とゆーか、全集の解題にそう書いてあります。

 夢酔が終始寝たきりですが、お話の時期を夢酔39歳の謹慎中なところを、当初40歳の闘病中とゴッチャにしていたためです。清書することがあれば、何とかします。

 

漫画全体ではこのあたり。

musuidokugen.hatenablog.com

 

 

 内容は、夢酔と島田虎之助さん(ここでは「見山子」とか「見山」と、号で記されています)他の皆さんの詠んだ歌を中心に、間で夢酔が書いたらしい文章が挟まれています。容量は10ページくらい。

 

 正直、はやおきは歌(短歌)のことは全然分からないので、解説はできませんが、漫画に引用した歌は以下の三つです。いずれも夢酔が詠んだものです。

 

 

 

のとけ(長閑)さや堤の草もめく(恵)み来て土手行(く)人も若菜摘(み)鳧(けり)

 

入相の鐘の音にくし臥龍

 

君と我床机にもたれ詠れは(゛)こゝにも臥(す)や梅のひと元

 

 

 

   三番目の歌の「君」は、この直前に「見山(島田さん)と我と床机に余念なく語りし」とあるので、島田虎之助さんのことと思われます。

    他にも「此春は分て(わきて…特別に)見山むつみ親しみつゝ、夜毎におなし枕に一眠の夢を見し心ち(心地)そ(゛)する」とか、「君をまちやむ」など、夢酔と島田さんが親しかったらしいことを窺わせる歌や文言があります(夢酔はそう書いてるが島田さんはどーだったか…)。

 

    漫画で島田さんが詠んでる歌は、講談社勝海舟全集「書簡と建言」より、島田さんが詠んだ歌です。

 

貧乏の徳利はたれかもゝとせの有無のさかひに咲やこの花

 

 

 

 それから、漫画では全体的に夢酔がグチっぽくなってますが、『詠め草』にそんなようなことを書いているので、ワリと原作に忠実なのです。

 

 おのれこのほど罪無くて罪を上より受け、わずかの茅屋に起伏して徒然永き日に倦み疲れ、ただ味気なき浮世の中の有り様をつくづく思い見はべるに、人情の行くところを鑑み思うに、盛り壮(さかん)なる時は貴となく卑しきとなく訪ねる者も多かるに、この頃は誰か訪れとむらわんや。我が門を往来する人々も立ち寄る人稀にして、多くは素通りし侍る薄情人こそままはべりき。身を尽くし承んことは神の御心にはすむべけれど、浮世の人には鈍きようにぞ思われはべれ。おのれ幼稚の時より種々のことに身を寄せ、憂き苦しはべれけれど、かく世の替り行きの鶍(いすか)の嘴(はし)と違いはべることの悲しき。浮世を捨てんと思いはべれば、うから(親族)に絡まれ、うい子の愛情に引かれ、凡夫の浅ましさ、何に例えんや。生きて阿鼻の地獄に沈みしかと悲しさ限りなく、身の貧に閉じられ侍れば今さら父母の教え諭したまえることの身につまされ、悔いて甲斐なきことと思えど、倭文の苧環(しずのおだまき)繰り返し千度百度嘆きたるはなくぞかし。世尊(せそん)に就きても仏の御法(みのり)に就きなば、何ぞかくうら悲しきことを見もし見れもしはべらんや。例えに言える、頭剃りて心すらずと言いにしことぞ、金言なれ。早く煩悩の絆解き、身は野となく山となく頭陀(ずだ)背負い、足の運びに任したらんことを願わしく、三五の年を過ぎんこと百年の春秋を待つ心地しはべりき。

〈歌の断片が挟まれるため中略〉

春雨の降りし夜半にまどろめば、筧に垂るる軒の雫に驚かされ、心さえ澄み渡り、炉の火掻きたてつつ枕辺の煙管取り上げ、ふかす煙草の香に愛ぜて独り世の憂きことを鑑みはべるに、よろずのこと頼むべからず、衰う時は朽ち木も同じ、よき友垣ありとて頼むべからず、背く時は仇のごとし、金銀ありとて頼むべからず、尽くれば元の野原なり、人に誠はすべからず、誠過ぎればかえってこの身を痛ましむ。よろず一人胸に問い心に答えはべることぞよかんべれ。

※『詠め草』より、はやおきによる現代仮名遣いで引用

 

 

 

    このくだりに「浮世を捨んとおもひ侍れは、うから(親類)にからまれ」とあるのですが、これは37歳の時に「檻に入れられるなら断食して死ぬ」とか騒いだ時に、兄嫁のお遊さんや甥っ子の男谷精一郎さんに「改心しろ」と説得されたことを指しているのか…?

 

 

 

    『詠め草』には、他に『夢酔独言』の雛形のような、小吉の半生をかいつまんでまとめたような文章もあります。ほんの1ページくらいの内容なのに、「放逸(ほういつ…勝手気ままなこと)」って3回も出てくるの、どうかしてるぜ(おのれのことを客観視できているともいえる)!