『夢酔独言』 百四十六話 日本の行く末
嘉永三年(西暦1850)九月四日、夢酔(勝小吉)死去。その喪も明けぬうちに、麟太郎の元を、脱獄中の蘭学者・高野長英が訪ねます。二人は日本の行く末について語り合います。
マンガ『夢酔独言』も、残りあと3話。
『夢酔独言』本編が完結してしまっているので、今回のお話も、勝海舟の発言をまとめた『氷川清話』をベースに構成しています。
父親死去の報せを聞いて、麟太郎は赤坂から夢酔(小吉)の住まいがある鶯谷へ駆けつけます。
3ページ目で麟太郎と喋っているのは、52歳の男谷精一郎さんです。精一郎さんは小吉の甥で、子供の頃から一緒に遊んだ仲でした。名前のキャプション入れとけばよかったですね。
小吉の死からひと月も経たないうちに、赤坂の麟太郎を高野長英が訪ねます。
高野長英さんにつて、教科書で名前を見た覚えはあるけど詳しくは知らないという方のために、解説です。
・高野長英(1804~1850)
仙台藩水沢出身の蘭学者。元は武士。江戸で 杉田伯元、吉田長叔(「長英」の名は吉田長叔から字をもらった)に、長崎でシーボルトに医学・蘭学を学ぶ。その後江戸麹町で蘭学塾を開くが、天保八年(西暦1837)のモリソン号事件での幕府の鎖国政策を批判し、天保十年(西暦1839)蛮社の獄により投獄される。弘化元年(西暦1844)脱獄、硝酸で人相を変え、沢三伯の偽名で医者として生活していた。
※蛮社の獄…幕府による言論弾圧事件。高野長英・渡辺崋山などがモリソン号事件での幕府の鎖国政策を批判したため。
「モリソン号事件」については、こちらの記事で解説しています↓
今回のお話を書くにあたって高野長英さんのことを調べたのですが、なかなかにキャラが濃く、波乱万丈な人生を歩まれた方でした。『夢酔独言』では、こんなチョイ役出演になってしまいましたが…。
そんな高野さんが若き日の麟太郎を訪ねたのは本当で、『氷川清話』で勝海舟が語っています。
高野長英は、有識の士だ。その自殺する一ヶ月ばかり前に、横谷宗与、これはおれの知人だが、この宗与の紹介で、夜中におれの家へ尋ねて来て、大いに時事を談論して、さて帰り際になって、おれに言うには、拙者はただ今潜匿(せんとく、人知れず隠れること)の身だから別に進呈すべき物もないけれど、これはほんの志ばかりだと言って、自分が謄写(とうしゃ、書き写すこと)した徂徠の『軍法不審』を出してくれた。
※『氷川清話』より、はやおきによる現代仮名遣いで引用
潜伏生活に身を置きながら、麟太郎みたいな若造の蘭学者のところにわざわさ会いに来たのは、麟太郎が熱望したのもあるでしょうが、高野さんの蘭学に懸ける熱意ゆえのことだったでしょう。
このエピソードに限らず、昔の人ほど、伝達に熱心だった印象です。
ちなみに、高野さんも御多分に漏れず『氷川清話』で勝海舟にボロクソに言われてるんですが、今回はそのくだりについては割愛します。
なんやかんやの時事談論の末、高野さんと別れた麟太郎。
終始父親の小吉はこき下ろされてますが、麟太郎に見直される日は来るのか!?
百四十七話「信と小吉(仮)」に続きます。
マンガ『夢酔独言』完結まで、あと2話!
追伸:
このネット場末のブログに訪問していただいている皆様、はやおきがお世話になっております。
そこそこ前からこのブログは「はてなスター」を置かないようにしてあるんですが、代わりのブックマークとともに皆様からコメントを頂いているのを、昨日知りまして…。気付かなくてすみません!!コメントなんて来ないのが当たり前と思っていたので、来るとは思っていなかったもので(意味重複)…。
コメントくださった皆様、ありがとうございます!!m(_ _)m