マンガで読める『夢酔独言』

マンガで読める『夢酔独言』

勝海舟の父親・勝小吉の自伝『夢酔独言』がマンガで読めるブログです。

現代的価値観・モラルと時代劇

     ポリティカル・コレクトネスというのをご存知でしょうか?

    「人種・宗教・性別などの違いによる偏見・差別を含まない、中立的な表現や用語を用いること」だそうです。

 

    昨今この言葉を目にする機会が多く、漫画を描いているものですから、「各方面に配慮して、アウトな表現を抑制させるもの」と捉えていました(具体例はそれぞれ、なるべく確かな発信元からご覧になってください)。

  私はもともと人権意識が高くなく、『夢酔独言』はご存知、江戸時代に生きていた荒っぽい男が主人公の物語ですから、さぞポリティカル・コレクトネスに反する言動をしていて、それに配慮なんかしていたら、面白い要素が全部なくなっちゃうんじゃないかと思って、息苦しさを感じていました。

 

    それで、そういったことについて、いろんな人のいろんな見解を見たのですが、そうしているうちに、我が漫画作中の信(小吉の妻)の扱いについて、いかがなものがと思い始めたのです。

    漫画読者の方はご存知の通り、小吉は短気でケンカ大好き、無職だし借金もムチャクチャにする。さらには妻に対して「一日でもおれに叩かれぬことはなかった」というほどの、DVクソ夫です。

    それに対して、妻の信は辛抱強く耐え、受け入れ、夫を支え慕います。

    でも、それで本当にいいのか?と思い始めたのです。小吉自身が横暴なのはさて置くとしても、フィクションの信に、横暴な小吉の甘えた態度(直接的に甘える、暴力を振るう、気分次第で優しくする)を受け入れさせるのは、実際に小吉によって酷い目にあったお信さんに対してあんまりむごい、暴力ですらあるんではないか、と。

    特に気になったのは五十五話の、小吉が息子を訪ねて、別居中の信の所へ押しかける話。現代に変換すると、別居中のDV夫が子供に合わせろといきなり訪ねてくるわけです。そんで妻が情にほだされて自ら子供を夫に引き合せて、いい話風になる…それはやっちゃダメなことだろうと思ったのです。

 

    しかし、そこまで考えてまた気付いたのですが、信が理不尽な目にあう描写のほとんどが、はやおきのオリジナル演出なのです。『夢酔独言』原作では、小吉の妻・信は小吉の浮気のくだり(マンガ『夢酔独言』七十六話)にしか登場しないのだから、当然です。

    原作の『夢酔独言』に、そのような描写は無いのです。

    「昔風の価値観ってこんなものだろう」と思って、現代人であるはやおきがわざわざ付け足したのです。これって、小吉に対してもむごいことだと思います。自らの考えとは違う方向で、倫理的にアウトな行動をとらされているわけですから。

    『夢酔独言』を前時代的にしていたのは、はやおきの方だったのです。

    逆に言えば、描写次第で、過去の時代の物語でも、今の世に受け入れられる作品にすることができるのではないでしょうか。

    例えば、同じ横暴な人物を登場させたとしても、周りの人達に受け入れさせるか拒絶させるかで、横暴な振る舞いに対して、受容も反対も出来るのではないか。

    自分が気にとめていないだけで、『夢酔独言』には他にポリティカル・コレクトネスに反する要素はあるかもしれないし、それについて今後自分がどう思うかは分かりません。

 

    ただし、昔の人を、当時の価値観から逸脱させて、現代人の主張の代弁者みたいにするのは嫌いなので、そこは気を付けたいところですが。

 

 

 

    という訳で、今後の清書にあたり、その辺の描写を変更するかもしれません。ネームはあれで面白いですし、信も家の構成員として、また麟太郎への愛情(あるいは、後に否定するとしてその時は小吉への服従心から)で態度が変わった思うので、全部を変える気は、今のところありませんが。

 

 

 

    以上が、はやおきの今のところの見解です。

    発端はポリティカル・コレクトネスですが、夫婦間の関係がそれに該当するか、実のところ分かりません。それくらい、理解はしていません。

    でも、誰かを倫理的に痛めつけるような表現をして、平気でいたくありません。

 

    ポリティカル・コレクトネスは世間では表現規制を強いる概念だとも言われますが、表現の中で今まで幅を利かせていた、偏った狭い範囲の(善し悪しは別として)物事だけでなく、今まで表に出られなかった物事にも、入る場所を明けることだと思います。

    あと、悪いことは悪いからダメです。

 

 

 

追記(2021.9.11)

    考えていたところ、この記事の本題が「ポリティカル・コレクトネス」に直接深く関わっているか疑問に思うので、タイトルからはその文言を外しました。少しは関わっていると思いますが、「モラル(道徳・倫理・習俗)」の問題である側面が強いように思います。

   そして書き漏らしていましたが、 はやおきはどちらかというと、信に近い立場で生きてきました。自分に関わる人間は支配的で、はやおきを馬鹿にして、罪悪感を植え付けました。なので、理不尽な扱いを受けた場合、耐えたり受け入れたり、その相手に認められたいとすら思っていました。それで、我が創作物にも、その思考回路が反映されたのです。

    モラルが欠如した扱いをされた者の、モラル欠如の再生産なのです。

    そんなおぞましいことに、小吉を巻き込むわけにいきません。

 

    えーっと、あと、そのようなモラルの筋書きを、本当に当時の人々がしていたかどうか?案外と、それを描こうとする現代人のモラルが、反映されているのではないか?ということです。