勝小吉自伝『夢酔独言』より、小吉14歳、一度目の家出エピソードその2です。
江戸の家を出て6日目、持ち物を何もかも失って途方に暮れる小吉に、宿屋の亭主が柄杓を授けますが…。
※ちょっとずつ打って、ちょっとずつ更新します。遅くとも、日曜日中には完了します。
【ここまでのあらすじ】
養家の姑・お婆様との折り合いが悪い小吉は、14歳の年、上方(かみがた)を目指して、江戸の家を出て東海道を進む。途中、旅の二人連れと一緒になり浜松まで行くが、その晩、持ち物・有り金をすべて盗まれてしまう…。
今回も、主に浜松が舞台のお話です。
「何にしろ襦袢ばかりにては仕方がない。どうしたらよかろう」
と、途方に暮れたが、亭主が柄杓一本くれて、
「これまで江戸っ子が、この海道にてはままそんなことがあるから、お前もこの柄杓を持って、浜松のご城下、在とも一文ずつもらってこい」
と教えたから、ようよう思い直して、一日ほうぼうもらって歩いたが、米や麦や五升ばかりに、銭を百二、三十文もらって帰った。
亭主、いい者にて、その晩は泊めてくれた。
※はやおきによる現代仮名遣いで引用
宿屋の亭主から柄杓をもらった小吉は、米に麦、銭をもらって帰り、一晩泊めてもらうことができました。
漫画では小吉は便宜上最初嫌がっていますが、原作では、そんな様子はありません。
※ネームの段階では、もっと違った話にしていますが、清書にあたり、原作に寄せました。ネームヴァージョンはいずれ下書きに戻す予定なので、よければご覧ください。
ところで、キーアイテムの柄杓ですが、漫画の中の解説通り、伊勢参り(おかげ参り)の目印で、柄杓を持っていることにより、スムーズに「物乞いする・施しをする」のやりとりが行えたものと思います。
この辺は、手元の資料本
別冊歴史REAL『江戸の旅とお伊勢参り よみがえる江戸の旅事情』 洋泉社MOOK
に記載の内容を抜粋してご紹介します。
伊勢参りと柄杓についての解説
「伊勢参宮 宮川の渡し」歌川広重より。
柄杓を持つ子供達。抜け参りと推測できます(二十話あたりで解説する予定です)。
参詣が終わると、柄杓は捨てられました。大量…!
翌日、
「まず伊勢へ行って、身の上を祈りて来るがよかろう」
と言う故、もらった米と麦とを三升ばかりに銭五十文ほど、亭主に礼心にやって、それから毎日毎日乞食をして、伊勢大神宮へ参ったが、夜は松原また川原あるいは辻堂へ寝たが、蚊に責められてろくに寝ることもできず、つまらぬざまだっけ。
で、現在地は浜松でしたが、宿屋の亭主から伊勢参りを勧められた小吉。
伊勢へ向かいます。
浜松から伊勢までのルートはこんな感じ。
距離をなるべく正確に把握するため、できるだけ東海道を通るルートを想定しました。
・浜松~関(東海道。距離は「東海道宿村大概帳」による)36里191町22間≒165㎞
・関~伊勢外宮(距離は「道中独案内」による)16.5里≒66㎞
合計231㎞です。
小吉が家で初日に歩いた50㎞を一日に進む距離とすると、約5日かかったものと推測できます。
まあ、初日は頑張っていっぱい歩いたけども、それ以降は日速30㎞とかだったかもしれませんが…。
その後も、物乞い&野宿で旅を続ける小吉。
銭もけっこうくれてたはずですが、宿に泊まるには足りなかったんでしょうか…。
十四話「生米は焚かなきゃ食えない(仮)」に続きます。
生米はいっぱいあるけれど、生米は炊かなきゃ食えない…小吉が炊いた飯を求めるお話です。
伊勢路でのお話です。
お楽しみに!