『夢酔独言』 八十一話 麟太郎と博奕と飢饉
今回は、勝海舟の言葉集『氷川清話』からのお話です。
麟太郎(海舟)12歳の頃のお話。当時旗本の間で博奕が流行していて、周りの家はみんなやっていた。そんな中、父親の小吉は博打が大嫌いで…。と、天保の飢饉の時、麟太郎がした「徳利搗き」のお話。
冒頭のおじいちゃんは麟太郎=海舟です。セリフは『氷川清話』よりほぼそのままです。ちょっと該当箇所を引用しようと思ったら、400文字ぐらいになるので今はあきらめました。「武士道気風というのは、生活に困らず本ばかり読んでいたからだ。封建制度が破れて給料がもらえなくなれば、武士道的気風はくずれて当然だ」と皮肉を言っています。
ちなみにこのインタビュー、勝海舟のお屋敷に記者さんが行って、海舟の自室で話を聞いたものです。海舟は晩年、ほとんど部屋の外にすら出なかったらしいですよ。
一方で、中間、旗本などの収入の多くない武士の間では、博打が大流行していました。博打を許可してくれれば給料はいらないという人もいて、派遣先の宿で博打を許可したところ、もめ事がなくなった、というようなことを海舟も言っています。スリルに飢えてたんですかね?そんななかで、小吉は博打が大嫌いでした。
※3ページ目で、武士の子たちが路上で博打ごっこをしていますが、さすがにそんなとこではやらないと思うので、清書の際は直します。
麟太郎が13~14歳の間伯父さんの家に居たという事は、どこかの資料で見て確かなんですが、理由はわかりません。マンガでは、飢饉と絡めてそれらしく演出しております。
今回のお話で、麟太郎はなんだか6歳くらいに見えるんですが、実際は12歳ぐらいです。
天保の大飢饉の時には、おれは毎日払暁に起きて、剣術の稽古に行く前に、徳利搗きといふことをやつたヨ。これは、徳利の中へ玄米五合ばかりを入れて、その口へ入るほどに削つた樫の棒で、こつこつ搗くのサ。おれは毎朝掌に豆の出来るほど搗いてこれを篩(ふるい)でおろし、自ら炊いて父母に供したことがあるヨ。 『氷川清話』より、海舟の言葉
八十二話「掛け捨て御免」に続きます。小吉のお金事情のお話です。