マンガで読める『夢酔独言』

マンガで読める『夢酔独言』

勝海舟の父親・勝小吉の自伝『夢酔独言』がマンガで読めるブログです。

岡野家年譜で読み解く隠居後の勝小吉の行跡

   マンガ『夢酔独言』上坂編(百八〜百二十二話)では、隠居後の小吉が入江町の地主・岡野家の家計トラブルに介入し、解決に必要な大金を手に入れるため、江戸から摂州へ旅立ちます。

    漫画では、このトラブル(以下:岡野家騒動)が起こったのは、発端から解決まで、小吉が隠居してからの出来事と解釈していました。

 

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隠居後の小吉

 

    さて、勁草書房版『勝海舟全集2』の付録に、岡野家盛衰の略年譜が付いています。これを見ると、どうも数年に渡っての出来事だったようです…というのを知りつつ、もうネームを一通り書いちゃったので、詳しく見るのを後回しにしていたのです。

    が、このたびついに順を追って年譜を『夢酔独言』と照らし合わせたところ、「なかなか興味深いじゃん?」と思ったので、清書に際しての構成メモとして、記事にまとめたいと思います。

 

    件の年譜はこちら勁草書房版『勝海舟全集2』の付録より)

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 これを、小吉が関わってくる部分から、『夢酔独言』と照らし合わせていきます。

    なお、この検証に限らず、マンガ『夢酔独言』では、勝小吉の発言を優先的に信じるものとします。

 

 

 

 

 

 

天保二年(西暦1831)、勝小吉30歳

勝小吉、本所入江町岡野家支配の地面へ移る。

 

    七十八話の出来事です。

musuidokugen.hatenablog.com

 

     はやおきが参照している東洋文庫版『夢酔独言』巻末年表では、前年の天保元年になっていますが、この記事は小吉の隠居後の行跡検証が主旨なので、まぁそういう記録もあるという程度にとどめます。

 

 

 

天保三年(西暦1832)、勝小吉31歳

岡野孫一郎融政隠居。厚雪と改名。その子融貞十代目家督を継ぐ。小普請。

 

    七十九話の出来事です。

musuidokugen.hatenablog.com

 

    「岡野孫一郎融政」というのが先代の孫一郎さんで、

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※1コマ目の人

 

「岡野孫一郎融貞」が、十代目の孫一郎さんです。
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※2コマ目の人

 

    小吉は隠居後の先代孫一郎さんを「江雪」と書いていますが、正確には「厚雪」のようです(画数が多かったのね…どっちの表記にするか、悩むところです)

    十代目孫一郎さんは、『夢酔独言』によると、この時14歳でした。

 

 

 

天保六年(西暦1835)、勝小吉34歳

厚雪病死、四十歳。用人岩瀬権右衛門罷免。

 

    これも七十九話です。

 

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このへんかな。

 

    厚雪さんが若い。死んじゃうから、何となく50歳以上だと思ってたよ…。

    あと、出来事が前後したり、数年に渡っています。1年間くらいの出来事と思ってた。ともあれ、『夢酔独言』では他にイベントもないので、別にいいです。次!

 

 

 

天保七年(西暦1836)、勝小吉35歳

用人大川丈助を任用。

 

    翌年のことだったんかい!

    内容的には百八話ですが、

musuidokugen.hatenablog.com

 

    時期的には、八十七〜九十話にかけて、甥の正之助に手紙を出した出さないの、実際は小吉が書いたのを偽筆だと言い張って三郎右衛門さんを困らせていた時期です。

    この辺は、上坂編に入ったところで時を戻すのでよしとします。

    にしても、家督を継いだ時点で14歳とすると、融貞さん、18歳ですでに酒乱です。

 

 

 

天保九年(西暦1838)、勝小吉37歳

融貞、西丸御小姓組へ番入(酒井壱岐守組)。丈助を罷免。

 

    小吉がようやく隠居。百九話の出来事です。

 

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このへんかな。

 

    「番入」とはおそらく「御番入り(就職)のことと思います。「御番入りをするまでは、必ず見捨てずに世話をしてくれ」と厚雪さんに頼まれていた小吉、約束は守ったようです。

    原作には「丈助へ難をつけて追い出そうとすると」とありますが、いったんマジに追い出(罷免)されていたようです。

 

 

 

天保十年(西暦1839)、勝小吉38歳

丈助、老中太田備後守に駕籠訴。

小吉、丈助一件を取り扱う。

融貞、小普請組に編入

 

    百十話以降の流れです。

    知らない間に1年経っていて、その間に小吉が島田虎之助さんと仲良くなって、家に入り浸ってゴロゴロする仲になっている…!

    『夢酔独言』巻末年表に、同年「四月松平内記の家中松浦勘次を連れ、鹿島神宮に参詣する」とあるので、漫画では岡野家騒動の後、香取・鹿島詣でをしたり、夏頃島田さんのお兄ちゃんを面倒見たりしていますが、騒動の前だったようです。

    それを踏まえると、漫画では小吉(夢酔)が無断で摂州に行ってからそれがバレて他行留(たぎょうどめ=外出禁止)を食らうまで一年くらい間が空きますが、実際はソッコー(1ヶ月くらい)でバレていたようです。取り締まりがちゃんとしている!

 

 

 

    ここから、個人的に興味深かったところです。

    漫画では、小吉は37歳の春に隠居して同年7月に有髪改名を願い出て、10月に許しが出て「夢酔」となりました。

    しかし、実際は、37年の春に隠居して、翌38歳の7月に願い10月に改名、11月の時点で「月代がまだ伸びぬから、当分は惣髪でいた(月代にするほどには伸びていないから、結んだだけにしていた)」が12月に「髪を切ってなぜつけにな」るくらいの髪の長さだったのです。

    考えてみたら、人間の髪の毛は1ヶ月に1センチほどしか伸びないから、春(旧暦1月から春に含む)に隠居して坊主にして、すぐ伸ばし始めたとして、1年弱で結べるまで髪が伸びているというのは、ちょっと無理があるというもの。でもプラス1年すれば、惣髪に十分で月代に短い長さになるのではないか。

     (半ばムリヤリな理屈かもしれませんが)それに気付いたとき、小吉が2年間伸ばした髪と、過ごした時間に触れた気がしたのです。

 

 

 

    以上、自分以外のどこに需要があるんだか分からない、岡野家年譜で読み解く隠居後の勝小吉の行跡でした。

    これに沿って、マンガ『夢酔独言』の時系列が変更されたり、されなかったりするかもしれません。