マンガで読める『夢酔独言』

マンガで読める『夢酔独言』

勝海舟の父親・勝小吉の自伝『夢酔独言』がマンガで読めるブログです。

原作『夢酔独言』の平凡社東洋文庫版と講談社勝海舟全集版の違い:冒頭

 前口上は前の記事に書いたので、読んでいただけると分かりよいと思いますが、↓

 

musuidokugen.hatenablog.com

 

 改めてザックリ説明すると、はやおきが原典としているのは平凡社東洋文庫版『夢酔独言』ですが、講談社勝海舟全集別巻「来簡と資料」にも『夢酔独言』が収録されており、その解題曰く「我々は戸川氏所蔵の原本から一字々々完全に新しく、かつ原本の字に完全に忠実に読み起こした」そうで、東洋文庫版と読み比べると確かに何箇所か違う部分があるので、書き出してまとめておこうという記事です。

 前の記事では、『夢酔独言』本編にあたる、小吉が生まれてから末尾までをまとめましたが、この記事では、冒頭部分のお説教のくだりにある違いをまとめます。

 なお、前記事と同じく、読み方や送り仮名の違い程度の違いは不問とします。句読点の位置も、原作には無いのを編者が付け足しているものなので、意味の違いが発生しない場合は無視します。

 ページ表記は、東洋文庫版のを記載します。

 

 

 

東洋文庫版5ページ

 東洋文庫版:「法悪しく」

 勝海舟全集版:「ぼふ(暴)悪く」

 全集版補注によると、原本には「ほ」に濁点があったと。

 「法悪しく」は悪いやり方でと言うような意味、「暴悪」は乱暴・非道であることです。

 

東洋文庫版:「天理にてらして」

勝海舟全集版:「天理天理にくらくして」

 「和漢とも皆々~君臣の礼もなく」という文章の中。東洋文庫版は「天の道理に照らし合わせて」。全集版は「天の道理も知らないで」というような意味です。

 

 

 

東洋文庫版6、8ページ

 東洋文庫版:「一芸は諸人にぬきん出、てい(体)をたくましくして」

 勝海舟全集版:「一藝は諸人にぬき出てい(威)をたくましうして」

 少しづつ、言い回しが違っています。

 東洋文庫版は「てい=体」、全集版は「威(威光とか?)」をたくましくしろと解釈しています。「威をたくましく」って何じゃいと思いますが…。

 

 

 

東洋文庫版8、9ページ

 東洋文庫版:「…とおもふ〔が〕よい。かよふの事が出ても」

 勝海舟全集版:「…とおもふよ。いかよふの事が出ても」

 句読点の位置が違うパターン。

 東洋文庫版では「このようなことがあっても」、全集版では「どのようなことがあっても」と訳せます。

 

 東洋文庫版:「数年の御難戦故に、かくの如くに泰平つゞき」

 勝海舟全集版:「数年の御難戦故に如くにたゐ平つゝき」

 全集版補注によると、原本には「かくの」は無かったとのことですが、意味的には「かくの如く」と言いたかったみたいです。

 

 

 

・オマケ

 全集版『夢酔独言』に、東洋文庫版にはない奇妙な改行がありました。

 

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    「恐多くも東照宮の御幼少の御事」の部分です。東照宮は、徳川家康を指します。

    そこでピンと来たのですが、勝海舟記念館Twitterで江戸時代の文書の作法についてつぶやいていたのですが、その中に下に文字が書けるとしても改行する「平出(へいしゅつ)」というのがあり、小吉は徳川家康を敬って、平出をしたんじゃないかと思います。

 

 それから、「御当家」の前に一文字分の空白があり、

 

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    これは「闕字(けつじ)」といって、平出に続く、敬意を表す書き方です。

    「御当家」徳川家を指します。

 

    生涯無役だった小吉ですが、幕臣の自負があり、江戸時代の武士の一人だったんだと実感できます。