マンガで読める『夢酔独言』

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勝海舟の父親・勝小吉の自伝『夢酔独言』がマンガで読めるブログです。

『夢酔独言』 百三十七話 都甲斧太郎先生

『夢酔独言』 百三十七話 都甲斧太郎先生

 

 前回、謎の馬医者・都甲斧太郎(つこうおのたろう)先生と出会った麟太郎。「西洋の匂い」がする都甲先生の家を訪ね、西洋の書物に触れます。

 そんな折、九州から罪人が、江戸へ護送されて来ます。罪人の名は高島秋帆(たかしましゅうはん)。都甲先生から聞いた、蘭学者の一人でした。

 

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 ※誤字と訂正…前回、初登場の都甲斧太郎先生の名前の読みを、「こうおのたろう」と表記していましたが、正しくは「こうおのたろう」です。「つこうせんせい」とお呼びください。

 

 

 

 今回のお話は、勝海舟の発言を集めた『氷川清話』より、嘉永元年(西暦1848)麟太郎26歳の時のエピソードを漫画にしたものです。

 ※どういう訳か天保十三年(西暦1841)の話になっていますが、話の構成を組んでから半年ぐらい経っているため、大目に見てください。直せそうであれば、後に時系列を正確に直します。

 

 

 

※以下、『氷川清話』よりマンガ引用箇所、現代仮名遣いで

 

 幕臣中外国のことによく心用いたるは都甲斧太郎という人である。(中略)蘭学を古関三栄に学び博学で、私(勝海舟=麟太郎)などはこの人のために学問したり、世話にもなった。

 

 (都甲)先生はかねて馬医の至難なることを聞き及びたれば、その時初めて西洋の馬の療治の原書を買い求めて、これを買い求めて、これを研究して、大いに得るところありしが、当時は西洋流の馬の療治法をするなどというては嫌疑を受けて、療治の依頼する者無きにより、先生は新案を考え出した。(中略)ことに馬の腹中に石の出来る病気がある。(中略)よって先生はその実を告げずして、ただこの薬を服用させれば全治すると言って、亜剌比亜護謨(アラビアゴム)の溶解したる物を与えた。

 

 しかして先生はいわゆる隠君子なるにより、世間の人と交際することを厭い、息子に家を譲って隠居した。そうして居を麻布狸穴の奥に卜(ぼく)し、茅屋なれども庭を広く取り、書斎を別室に設けて、傍らに西洋の辞書を置き、西洋の窮理書や療術書などを独習で調べていたが、世間では少しもこれを知らない。ある人が私に斯様な隠君子のあることを紹介したるにより、ある時都甲先生の元を訪問した。それは私の長崎へ伝習に行く前で、安政元年ごろであったから、私の二十六、七歳の時であった。

※麟太郎が長崎へ行くのは安政二年(西暦1855)、33歳の時。安政元年は32歳で年齢と計算が合わないため、『氷川清話』解説では、嘉永元年の出来事ではないかと推定している。

 

 先生は(中略)他の人を同行して来ては困るが、お前ばかりなら来なさい、と言われて、月に三、四回訪問したところが、従来先生が原書を読んで得たるところの有益なる事柄はみな私に話して聞かせた。そうしてお前は志を立て、西洋の学術を攻究せよと言うて、奨励してくれた。

 

  先生は私に対しては実に尊大にして、あたかも自己の孫のごとき取り扱いをした。飯時になると飯鉢を持ってきて、さあ食いなさいと言って、私に自分の給仕をさせながら飯を食わせたぐらいであるが、私も面白い老人と思うて、師のごとく仕え、だんだんその説を聞いてみると、よほど卓識な人物であった。その頃先生は六十五、六歳なりしが、矍鑠(かくしゃく、年老いても、丈夫で元気なさま)として原書の細字を読むにも眼鏡を用いず、時に自己の意に適したる事項あるときは、これを書き取るなど、壮年者も及ばざる気力であった。

 

 常に先生が私に向かって、今日のごとき制度にては所詮この国を維持することあたわずして、ついには外国に降服せざるべからざるの悲境に陥るであろう、しかるにもし強いて今日の制度を維持せんとする時は早晩内乱をかもして、一時は惨澹(さんたん、いたましく悲しいさま)たる有様になるに相違ない、ゆえに今日にあたり誠心誠意西洋の事情を攻究するは最も必要のことであるが、うらむらくはこれを攻究する人に乏しいと言って、平生嘆息しておられた。

 

 

 

 ところで、都甲先生のような「今は現役を退いているが主人公の専攻分野の第一人者で、世俗との交流を避けているのになぜか主人公とだけ親しくしてくれる老人」に覚えがある読者の皆様もいらっしゃるかと思いますが、そう、『夢酔独言』本編主人公・勝小吉に対する平山行蔵先生です。

 小吉もまた、若い頃に四谷伊賀町で隠遁していた平山先生に気に入られ、先生の元へ通ったのでした。

 

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 小吉も麟太郎も、お互いに師と仰いだ老人がいたことは知る由もなかっただろうので、不思議な偶然です。

 

 

 

 さて、こうして都甲先生を訪ねていた麟太郎は、九州の蘭学者高島秋帆(たかしましゅうはん)を知ります。その高島先生が幕府によって捕らえられ、江戸へ送られてきました。

 どうする、麟太郎。

 

 

 

 百三十八話「西洋狂い」に続きます。

 「蘭学=取り締まり対象」と印象付けられ、麟太郎の蘭学の道に影が差します。 

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